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あらためて人間の『尊厳(Dignity)』を考えさせられる日


メディアは毎日中東地域での悲惨な映像を流しています。ウクライナの事態が喉元をすぎてしまい、ウ-露への意識の熱気を忘れてしまいかねないようなメディア誘導の社会意識。

私自身さまざまな想いが巡ってきます。

『尊厳』が希薄になっている社会は、人間価値より「国家価値」や「民族価値」、そして「経済価値」を軸に置いた「組織価値」や「企業価値」など、価値尺度が人間個々の『尊厳価値』とは別軸の基準で世界が動いています。

尊厳(Dignity)とは、個人の存在や価値を尊重し、人間らしさを保ちつつ、自分らしい生き方をできるようにすること。
全ての人間には、基本的人権をはじめとした『尊厳』の権利を有しています。

人間には、自己決定や自己表現、自己実現などを行う権利があり、その権利を尊重し、守ることが尊厳を守ることに繋がります。
でも、今世界社会で起きていることは人類の「尊厳」を守られているとは言えません。

何故でしようか?

人類の「叡智」と「英知」が、科学オリエンテッドな社会をつくり上げ、人類が生物生態系の頂点に君臨し、この地球をあたかも「支配」しているかの如くの思い込みの社会意識が存在しています。
一方で、多様な価値観世界が並存し、理念的にはデタントを背景に微妙な「共存」の振りをしながらも、「共生」への包摂意識は「主義」や「主張」そして「共通善」を共有出来ない「人間の欲」による支配観念が「尊厳的意識」にバイアスをかけています。

この「事実」は如何ともし難く、人間のGreedy 意識と多様な価値観を相互に共感、共鳴できる「場」が創出されない限り未来も並行線を辿る宿命なのでしょうか。

何を「目的」として人類は存在しているのか⁉︎
あらためて人類の原点回帰意識を振り返ることが大切では!と思うところ。

人として、人それぞれの幸せを感受して生ききる「わくわく人生」を全うできる世界は『尊厳的安全性』が満たされている世界。
でも「今」を見る限り、とてつもなく乖離した現実に直面しています。
今こそ人類の未来回廊のデザインが必要とされています。さて、誰がこの役目を担えるのでしょうか❗️

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