見出し画像

ウクライナ🇺🇦の今に想いを!

人類の「未知なる不可思議さ」と「複雑性愚かさ」を感じるこの頃!


「戦争犯罪」の論議があります。

国際法に定められた「戦争犯罪」とはどういう事?と思われる方もいると思います。(詳しくは添付を参照ください)

【参考資料】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E4%BA%89%E7%8A%AF%E7%BD%AA

要は「戦争」が存在することを前提とした「国際ルール」が定められているのです(某国は加盟国ではありませんが..)

人命が失われる「戦争」は、人類の過去未来歴史の中で「無くならない」事を想定されたルールの存在自体、人間の『複雑性愚かさ』の感を禁じ得ません。

「戦争」は軍人同士の『戦い』なのでしょうか。武装していない民間人の「殺戮」(ジェノサイド)や、生物化学兵器を使用する事、また、捕虜虐待などは「国際法」で禁じられていますが,今ウクライナで起きている事ごとの中には、国際法の問題以前に「人間として許し難い行為」がメディア映像に映し出されています。
私自身、そして多くの人が心を痛めています。

ふっと思うことがあります。

兵士たちは、好んで「社会資本の破壊」や「人間への殺傷」をしているわけではないはずです。
『指導者』という名の「独裁者」のバイアスされた「自己正義」と、人間の意識洗脳統制策を弄することにより、自己行為を「正当化」するケースは今回に限ったことではありません。
人類歴史を振り返ってみると,日本もその時代を経験しています。

今起きている事は「対岸の火事」ではありません。被害を受けた方々の「人生救済」には人類共助が必要であり、このような事態が「起こり難い世界」(複雑系争い本能を持つ人類の「戦争」はおそらく無くなりはしません!)をいかに創造してゆくかを真剣に考える事が大切と思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?