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子供にと思い奴を彫る



⚪️法話挑戦

 お葬儀や法事で話すは話す。しかし教義的なことをうまく伝えられているかといえば怪しいものだ。雑談の中に仏法を混ぜる程度の話しかしてこなかった。
東本願寺は法話の資格のようなものがない。私のようなものはきっかけがないといつまでもボーッとして、自分の問題にさえ気が付かないだろう。去年の末から真面目になろうと思い、学び始めるも未読の本が増えていくだけ。とはいえ短いながらも法話を話す日を決めたので、自分なりに準備している。徐々に慣らしていこうと思う。
まずは30分。…逆に短いと難しい気がする。2時間3時間の方が話をまとめやすい気もしている。が、まだ知識も気持ちも足りないので徐々にやっていきたい。

⚪️根付師か僧侶か

 根付を10年以上やってきた。根付で食えたらそれで良かった。しかし、彫るだけでは難しい時代だ。彫ること以外は不器用なので、今の時代には適さなかったようだ。どうしようかなと思っていた矢先に、新しい根付展を共に立ち上げた仲間が亡くなった。私より年上だが、まだ若い。考えねばならぬ問題が、先送りにしていた問題が目の前に現れた。いや、見て見ぬ振りをしていた。生き死にの問題。生きると言うことについて。
今のところ光は見えないし、見えないままなのかもしれない。ただ縋り付くように顔を突っ込んだ仏教の世界。いままで根付7仏教3だった。
多分これからは反対になる気がする。
根付彫刻の時間は今までより短い時間でも濃密な時間にしたい。

⚪️甘いパン男

 大半の子供らは彼が好きだ。世に溢れている。YouTubeを見ればさまざまな大人が彼をつかい収益を得ている。子供のままではいられない、様々なものを備え始めた大人の闇を感じる。ま、なにはともあれうちの子も例外ではないので、今はまだ喜んでいるアンパンの顔面でもあげようかなと思います。

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