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絶望を受け入れ希望を語る

自分の人生で起きた絶望を、受け入れ、咀嚼し、考え、悩み、人に希望を見出す表現として表出させている人々がいる。

もし、自分に、その人たちに立ちはだかった絶望が訪れたとしたら、そのまま絶望に潰されてしまうと思うのだけど、一方でその絶望に憧れてしまう時がある。自分は、きっと彼らが感じてきた強烈な絶望を、心の中に持っていないというこじれた劣等感があるのだ。そんなの、無い物ねだりとわかっていたとしても。

絶望を下敷きにした、希望の表現が説得力をもつと感じるのはなぜだろう。

そう感じるから、そしてその絶望を持ち合わせいないから、自分は希望を語る力がないんだろうなと、絶望も希望も兼ね備えた人を僕は眩しく眺めるしかできなかった。

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