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トゥライダルァザの伝説

バルト三国の1つ、ラトヴィア共和国のスィグルダという小さな街にとある伝説が残っています。

スィグルダは首都リガから約53キロ離れたガウヤ川のほとりに位置し、人口は約1万人程。

この町にあるトゥライダ教会の菩提樹の下に眠る「トゥライダのバラ」とよばれた美女のお墓には、悲しいお話があります。

彼女の名はマイヤ、Maja (1601–1620)。
当時ラトヴィアはバルト海の覇権をめぐり、北はスウェーデン・南はポーランドが侵攻してきていました。
1601年にスウェーデン軍とポーランド軍との戦いがトゥライダ城をめぐって行われました。
戦の後、城の書記官が死んだ母の腕の中で生きている赤ちゃんを見つけました。
彼はこの赤ちゃんを助け、娘として育てる事にしました。
月日は流れ、やがて彼女は美人に育ち”トゥライダの薔薇”と呼ばれるように。
彼女には庭師をしている恋人がおり、2人はいつとグートゥマニャ洞窟で愛を深めていました。
1620年に2人は結婚しようとしていましたが、ポーランド軍貴族のアダム・ヤクボフスキーが彼女を自分のものにする為に、彼女の恋人の手紙を使って彼女を騙し、グートゥマニャ洞窟に誘い出したのです。
襲いかかるヤクボフスキーに対し、彼女は恋人から贈られたスカーフを示して 、これを持つ人は不死身の力を授かるスカーフです 。
もし、私を逃がしてくれたら貴方にこれをあげます。
たとえ剣のひと突きも、このスカーフを突き通すことはできません。
その力を信用していただくためにも、ここで試してください。
と言放ち、言われるままに斧を振り下ろした瞬間に、彼女は亡くなりました。
自らの命をもって、自らの名誉を守った彼女。慌てたヤクボフスキーは逃げ出し、その夜に洞窟にやってきた恋人は彼女の亡骸を発見します。
その後彼はマイヤ殺しの罪をかけられてしまいますが、無罪が認められ、彼女のお墓を建てたそうです。
今では、ラトヴィア国内で結婚式を終えたカップルが、マイヤのお墓に花束を添えに来る習慣があります。

恋人への愛を貫くために自らの死を選んだ、悲しくも美しい1人の女性の物語です。


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