玄奘西へ行く3

日中どちらのドラマでも観世音菩薩は女性が演じている。どうやらインドでは男性であったものが中国で女性化されたらしい。その後の明の時代に道教の神として取り込まれた。玄奘が活躍した唐代ではまだ純粋な仏教神と言って良い。この話ではポーサは釈迦のエージェントと言う設定だ。天界との駆け引きは全てポーサが行った。また現世にもよく現れ人々を啓蒙した。
西遊記ではやたらと登場して玄奘一行の手助けをする。初めてのお使いでやたらと子供の手助けをしてしまう親のようだ。またやたらと試練を与える。何某かの事件が起きそれをようやく解決すると最後に現れて、実はそなたたちに旅の試練を与えたのだ。
なーんだ!ポーサも人が悪い!みたいな物語の終わり方も多い。
妖怪たちをやたらと保護するのも特徴である。結構な数の妖怪たちが殺されず観世音、弥勒、文殊等のポーサ達によって保護されて終わる。物語冒頭では物を盗み、人を食い、人毛の絨毯の上で暮らし唐僧が来たと聞けば大釜で煮て食ってしまおうとする妖怪達をである。
実は此奴はわたくしの庭の池にいた金魚でした、実は此奴はわたくしの乗り物であったのがどう言うわけか逃げ出して、等あれこれ理由をつけて天界へ引き連れていってしまうのだ。
これは何故だろう?
神々と妖怪は表裏一体、隠と陽と言うのはどうだ?神々はこの世を支配している、その力は人間を遥かに凌ぐ。しかし実はその力の具現化は人間による認識によって成立しているのだ。人々の信仰心が神々の奇跡を支えた。神々が常々心配しているのは信仰する人間がいなくなる事だ。彼らはしばしば現世に降りて奇跡を起こし人々を脅し、喜ばせ畏敬の念を抱かせた。そして異教の民を殺させた。殺されたり改宗させられた少数民族の信仰していた神々は行き場を失い各地を放浪するうち自分の名前も忘れ尊厳も失って行き、微かに残された超能力を使い悪事を働いた。当然神々を憎みいつの日か復讐する事を夢見た。
その妖怪たちを巧みに利用したのが仏教というのはどうだろう?認識を失った神々に仏教神としての転生を促す。実際仏教神は化身としてやたらとたくさん名前を持つ。彼らは少数民族の神々と和解し融合してその信仰の領域を広げた。
観世音菩薩は妖怪たちを観察し仏教神として取り込むに値するかどうか判断しそれを掛け合う役目を担っていた。ひょっとしたら天竺より経典を持ち帰る事などどうでも良かったかも知れない。
唐僧肉(タンスンロウ)と言う餌を使って妖怪をおびき出し、それを見定め、素質があれば天界に引き連れて行く。
こんな思惑が観世音菩薩にはあった、かも知れない。
  
当然玄奘は天竺行きを辞退した。先ずこの戦乱冷めやらず、盗賊妖怪の類が幅を効かせる荒野を旅して無事天竺まで辿り着けるとは思えない事、自分は仏教僧ではないためもし仮に天竺まで辿り着いたとしてありがたいお経を釈迦牟尼より享受されるとは思えない事、そしてこれはやんわりだがとてもとても興味がない事などを色々雑談を交えつつ語った。
全てを聞き終わったポーサは顔色は変えずその姿を女に寄せて、
「お願い」とだけ言った。
老僧達はどよめきだち住職の顎は外れそして卒倒してしまった。もはや死んだと言ってもいい。彼は何のために厳しい修行を何十年もこなしたのだろう?ポーサから直々にお願いをされる。ありえない事が今目の前で起きているのだ。
彼は外れた顎を両手で支え、貧僧もポーサの御姿が見えておりまする、そのお役目是非この貧僧に!と言ったが顎が外れて上手く喋れないし百歳を超える高齢である、無事に天竺まで辿り着けるわけがないのは自分でもよくわかっていた。せめてこの若者を説得するのが我が役目と外れた顎を両手で抑え玄奘の顔を見た。
「天竺まで無事辿り着けるとはとても思えませぬがやりましょう!」
玄奘は顔を赤らめて元気よくこう答えたのである。
一同どよめく。なぜ玄奘はこの自殺にも等しい旅を引き受けたのだろうか?これはおいおい考えてゆこう。

早速旅の準備が始まった。先ずは玄奘の出家である。あっという間に頭は剃り上げられ僧の着物を着せられた。
ポーサはこの即席僧のため魔除けの念仏を一つ、妖怪を操る念仏を一つ教えた。
そして錫杖と袈裟を渡し
「これらをまといその念仏を唱えるうちは妖怪変化たちはお前様に手出しができない。もし妖怪に捕まったら精魂尽きるまでその念仏を唱えて。」と言い最低三日間寝ずに唱える訓練をひと月ほどさせられた。食えば三日三晩食わず眠らずで集中出来る廣品丸と言う天界の薬ももらった。
「旅中に出会った妖怪を三人お前様の弟子にしなさい。この緊箍児と言う輪を妖怪たちの頭にはめ念仏を唱えれば彼らを支配する事はたやすいでしょう。」
ポーサは金の輪を三つ差し出し、天竺まで無事辿り着いた時はなんでも妖怪たちの望み通りの願いを叶えると約束した。
わたくしは常にお前様を見守っていますよと言うとウインクをした。どこで覚えたのだろう?ポーサは時代を超越した観察者である。あらゆる時代で人たらしの方法を観察していたに違いない。
ポーサの色気にすっかり骨抜きになった玄奘の天竺への無謀な旅はこうして始まる。
顎の外れた住職はその後すぐ死んだ。





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