玄奘西へ行く11

史実の玄奘は何故この困難な旅に出たのだろう?足掛け16年西国を放浪して経典を唐に持ち帰る。並大抵の精神力ではない。何故彼はそこまで仏教に魅了されたのか?
日本の仏教僧の有名人、空海と最澄をご存知だろうか?遣唐使として共に804年唐に渡り最澄わずか1年足らずで帰国、空海も2年で帰国している。インドまで行かないんだ?とワシは思う。因みに同時期に唐に渡った霊仙と言う僧は長安でサンスクリット語を学び日本人唯一の三蔵となり二度と日本の地を踏むことはなかった。時の皇帝が彼の事を手放さなかったのである。その後毒殺されたとも言われる。
あ、三蔵法師とは詳しくはわからないがどうやら翻訳者の事らしい。
翻訳こそ当時最高の科学の一つかも知れない。今ならば宇宙人と交信するような最先端の科学。
玄奘も持ち帰った経典を翻訳し三蔵と呼ばれた。彼が本当は大してサンスクリット語を理解していなかったらどうだろう?彼の翻訳が鳩摩羅什という中央アジアから来た僧の訳の写しだと言う噂もある。
学問より体力に自信のある好奇心旺盛な若者であったらどうだろう?
史実の玄奘が進んだインドへのルートはとてもとても遠回りをしている。journey to much the westである。しかもそこそこの国で1ヶ月とかそう言うレベルで滞在していて、これは乱れた世の中を救うためインドから経典を持って帰る旅にしては悠長なものだ。長安から南下してインドに入る道もあったしそれの方が圧倒的に近い。しかし彼はその道を選ばす遠回りの天山山脈越えを選んだ。
それの理由はワシの考えではこうだ。
まず大乗仏教の伝播したルートをなぞりたかった。仏教には大きく分けて大乗仏教と小乗仏教があって詳しく説明するのは勉強不足だし面倒くさいので割愛するがざっと小乗が厳しい修行と徳をつんだ者だけが成仏できるのに対し大乗は全ての人々が成仏できる、と言う違いがある。なんだかお経を唱えるのがめんどくさいからくるくる回るローラーみたいの回すだけでオッケーとか、南無阿弥陀仏って唱えるだけでオッケーだとか、悪人こそが最も成仏に値するだとか便利な奴は全部大乗仏教だ。
この大乗仏教が発明されてから仏教は大いに広まったと言える。便利だからな。
インドを北上した小乗仏教はガンダーラあたりで大乗仏教へと変化して中央アジアに根付きそして東に向かった。玄奘はその過程を逆流したかったのでは無いだろうか?
そしてもう一つの理由は単に放浪癖があったのでは無いだろうか?

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