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大清西部劇 第三話 使者

●3.使者
 林は荷車引いた馬の手綱を自分の鞍の後ろに括りつけて進んでいた。
「クチャはまだかな」
林は後ろの馬の様子を見ていた。
「そろそろだと思う。なぁ」
石はアフメットの方を見て言っていた。
「この辺りだと人の行き来があっても良いのですが…」
アフメットは怪訝そうな顔をしていた。
「確かに、ひっそりとしているな」
石も急に不安げになった。
「クチャといっても娘の嫁ぎ先は、少しはずれにあるから、もう見えても」

 しばらく進む3人。焼け焦げた邸宅が見えてきた。その周りには瓦礫の山があった。
「なんじゃい、これは、焼き討ちにでもあったのか…」
アフメットが急に叫び出し、馬を止めた。
「どうした、アフメット」
石も手綱を引いて止まった。林も手綱を引くと、跨っている馬が止まり、その後につながっている荷車を引いている馬も止まった。
「これじゃ、身代金どころの騒ぎじゃない。奴らはどうしたんだ」
アフメットは途方に暮れていた。
「俺は…どこかに逃げたと見た。アフメット一家を手玉に取るくらいの奴らがそう簡単にやられるわけがない」
「林、褒めてんのか、慰めてんのか」
「両方だ」
林が言うとアフメットを鼻を鳴らしていた。
「どこへ行ったか、何か手がかりはないものかな」
石は馬から降りると瓦礫の山を崩していた。林は焼け焦げた邸宅の中に入って行った。

 林は煤けた壁を触った後、割れた鏡の破片を拾っていた。鏡の破片の下には10コペイカ銀貨(1ルーブルの10分の1で現在の100円程度)が落ちていた。
 後から入って来た石が林の横に並んだ。
「ロシアのコインじゃないか」
石は、横から垣間見ていた。
「この嫁ぎ先は、ロシアとのつながりがあるようだな」
林は片脚が折れている椅子を足で端に寄せていた。
「隊長、こんな所にいても、時間の無駄です。戻りましょうぜ」
アフメットは林が寄せた椅子をさらに蹴とばしていた。
「アフメット、取りあえず、ロシアのコインを見つけたぞ」
石は林が手にしているコインを指さしていた。
「林、カネになったな」
「まあな」
林はコインを投げて拳銃を構えるふりをしたが、発砲せずにコインをキャッチしていた。

 3人はクチャからアフメットの酒舗に戻った。
「親方、こいつとの決闘は今やっちゃいますか」
アフメットの手下の筆頭格の男が林の周りをうろついていた。林は全く気にせずに酒を飲んでいた。
「いや。まだだ。お前は奥に行ってろ」
アフメットは顎であっちへ行けと促していた。手下はすごすごと奥に引っ込んだ。
「まだ、お前の娘は生きているかだな」
「隊長、縁起でもないこと言わんでくださいよ」

 酒舗の外で怒号が響いていた。アフメットの手下二人がよそ者の男を引っ立てて入ってきた。
「親方、こいつアイさんの嫁ぎ先の使者だとか、言ってます」
「何っ。イスマイ家の使いなのか」
アフメットはその男の顔を見ていた。手下たちが男をアフメットの前にひざまずかせていた。
「娘は無事なのか」
アフメットは男の顔を覗き込んでいた。
「無事だが、追って指示があると言っておいたのに何で、クチャに行った」
「指示など待っていられないから、カネを持って出向いたまでだ。今はどこにいる」
「それよりも、カネは用意できてるのか」
「バカ野郎、あるに決まっているだろう。あれだ」
アフメットは男を殴って、外に停めてある荷車を指さした。
「それでは、そのカネは私が持ち帰り、その後、解放ということになる」
「なんだと、とぼけたことをぬかすな。糞野郎」
アフメットは、男を蹴り飛ばし、床に転がらせ、再度蹴ってから殴っていた。
「カネを…見せてくれ」
男は喘いでいた。
「お前が娘の所まで案内して、カネと娘の交換だ。それが呑めないなら、お前を殺して、使者は来なかったから指示をくれと言うまでだ」
アフメットは手下たちに銃口を男に向けさせた。
「わかった」
「ところで、今どこにいるんだ。アフメットの娘さんは」
石は床に転がっている男に静かに聞いていた。
「アルタイ地区にいる」
男は少しニヤリとしていた。
「まだ新疆省の支配が及んでいない所か」
石は苦々しそうにしていた。
「なるほど、こいつとつながりがありそうだ」
林は胸のポケットからロシアのコインを取り出して眺めていた。

 林たちは、アフメット一家の手下9人と共にアルタイ地区に向かった。荒野を行く一行に砂嵐が襲ってきた。
「こいつは酷い、無暗に進むと方向を見しなうぞ」
林は、砂塵に薄れる陽ざしを仰ぎ見ていた。
「確かに、酷ぇや」
林の横に並んで馬を進めるアフメット。
「あそこの枯れ川の岩の所で休憩だな」
アフメットの隣に並ぶ石は、いち早く避難場所を見つけていた。横並びの三人の前には、使者と称するジャフトという男が馬を進めていた。一方三人の後ろには、荷車の手綱を引く者を含めた9人の手下が続いていた。
「おいジャフト、この嵐だ。急ぐことはなかろう。あの岩場で止まれ」
アフメットが嵐に負けない野太い声で怒鳴っていた。ジャフトは振り向いてわかったと首を縦に振っていた。
 日が暮れる頃にはだいぶ風は弱まったものの、その日はそこで野宿することになった。たき火を囲んで、干し肉を食べる一行。
「石隊長、明日辺りからは、いよいよアルタイ地区だな」
地図を広げている林。 
「…いずれ新疆省の支配下になるだろうが、今の所、どっちつかずで不安定だから、何が起きてもおかしくないだろう」
石は林の広げる地図に国境線が書かれていないことに注目していた。
「林、その地図はかなり古いのか、国境線がないし新疆省の表記もないな」
「上海で手に入れたものだが、ロシア製かイギリス製だと思う」
「ロシアじゃないな、キリル文字が見当たらない」
「石隊長、ロシア語に詳しいのか」
「一応、辺境の官吏だからな」
石は遠い目をしていた。突然、銃声が響いた。石と林は顔を見合わせていた。
 隣のたき火からアフメットが駆け寄ってきた。
「奴が何者かにやられた」
「奴って…」
石が言いかける。
「使者のジャフトでさぁ」
アフメットは苦々しそうにしていた。
「状況からして狙撃されたんだな」
林は、周囲の暗闇を見回していた。
「よほど狙撃の名手じゃないと」
アフメットは声が震えていた。
「…たき火の明かりを頼りに狙ってきたわけか」
林は立ち去る足音や駒音がないか耳を澄ませていた。しかし何も聞き取れなかった。遥か彼方で馬のいななく声
がしたようだったが、明確ではなかった。
「案内人を失ったわけか」
石は腕組をしていた。
「イスマイ家と敵対する勢力が関与しているのか。それともイスマイ家の者か」
林はコインを弾き上げてからつかんでいた。
「林、なんで身代金を運んできた案内人を殺す必要があるんだ」
アフメットは目が泳いでいた。

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