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アメリカで体験した9.11テロから20年経ついま思うこと。

明日は9月11日。ニュース記事でそのことに気がついて、思い浮かぶことを忘れないうちに書き留めておこうと書いてみます。

2001年9月11日、私は当時15歳で単身で米国に留学中でした。8月中旬からホストファミリーの家に滞在し始めて、9月中旬のその時はまだ人々が何を話しているのかがさっぱりわからないくらいの語学力でした。

事件が起きたのは登校前の時間で、ニュースを目にしてホストファミリーは盛んに「Oh my god...」と言って動揺し、抱擁し合ったり、ほうぼうに電話をかけたりしていたのを覚えています。

私はニュースを見ても、何が話されているのかが理解できなかったために、えんとつに飛行機が衝突した画像がずっと映っているぞ、そしてホストファミリーがひどく悲しんでいる、飛行機事故が起きてしまったんだろうか、一体あのえんとつに何が起きたんだろう…?と思ったまま登校しました。

自爆テロによって人がたくさんいるビルが攻撃された、なんて自分の頭の中の想定にないから、ニュース映像からそのように受け取ったのだと思います。

学校に登校すると、なにやら話題はあのえんとつ騒動のことで持ちきりだということだけは理解できました。

先生や生徒はとても動揺していて、その日は朝からお祈りに長い時間が費やされました。

それでも私は何が起きたのかを理解できず、何か大変なことが起きたようだけれど、何がどうなっているんだろう…という思いのまま帰宅したら、夕方に母から電話がかかってきて、「大変なことになってるじゃない。そちらは大丈夫?」と顛末を聞き、やっと何が起きたのかを理解したのでした。

言語がわからないと、そのくらい何がどうなっているのか理解できない、という強烈な体験であったとともに、想像していないことは想定できない、という体験でもありました。

「想像力」という言葉はよく耳にしますが、実際に起きると思っていないことを「想像」するのは容易なことではありません。私たちは基本的に、自分の身の回りに起きることしか「想像」できないので、そうではないことを「想像」するのはとても難しいのだと思います。

当時、米国にいてあの体験をあの国で味わい、その後も10ヶ月ほど米国で過ごした私は、「9.11」のことを今でも「セプテンバー・イレブン」と認識しています。

あの日、あの国にああして起きてしまった悲しみは、米国の人たちは「自分ごと」として共有していたように思います。「セプテンバー・イレブン」の話題はことあるごとにその後も人々は話していたし、語学が少しできるようになって現地の友人と話せるようになってからも、10代の彼らの価値観に大きな影響をもたらしたことを感じとりました。

私が友人になった人たちは、その多くが「もうこの国は終わる。セプテンバー・イレブンに表れている。これがアメリカが今までやってきたことの結末だ」という文脈で語っていました。シニカルというか、諦めというか、自分たちの国を「誇り」には思えないように語っていました。

友人のうち2名は、家庭の事情から高校卒業後に軍隊に属し、イラクに駐留しに行きました。

友人が「裕福ではない家庭に生まれた人間は軍隊に行くしかないんだ。軍に入れば、退役後に大学に入ったり、警官になれたりするから。貧乏人はまず鉄砲玉になるっていうのがアメリカ社会の現実だから、まりこも覚えておいて」と語っていたことは、その後も強く私の頭に残りました。

イラクに駐留した2名の友人は、2人とも駐留後に鬱症状に苦んでいました。(3年間の駐留を経て、その対価として世界各国どこでも安価にフライトできる権利のようなものが与えられたらしく、私が大学生になった頃に日本を選んで遊びに来てくれたのです)

彼は駐留時に何をしていたのかは、語りたがりませんでしたが「機械を操作して人を殺すってことが存在するんだよ。ゲームじゃなくて。それが僕たちがすること(That's what we do)」と言っていたのを覚えています。

あれから20年。世界は平和に向かっているのかは正直私にはわかりません。わかるのは、「分断」や「格差」という言葉がメディアでたびたび取り上げられるようになったということ。

そうしたものが問題視されるようになっているのは、「平和」に向けてのわずかな前進なのかもしれません。

私は自身の地元である川崎や、米国で見聞きした体験から、生まれや育ちという本人にはどうにもできない「運」によって人生の方向があらかた決まってしまうことになんとか抗いたいという思いを持っています。

そのうちのひとつは、恵まれた環境に置かれていない人が選ぶ選択が、その人たち自身だけのせいではないということを認識することだし、また別のひとつは、じゃあ生まれや育ちが恵まれなかったら絶望して諦めるしかないのか、ということに対して、そうではない道を模索したい、というものです。

冒頭にリンクを貼ったニュース記事にはこうありました。

それから地上に着くまでの50分間に、階段を駆け上る消防士や救助隊員と何人もすれ違った。彼らのことを語るとき、ディトマーさんには涙がこみ上げてくる。

「彼らの目は、上に行けば帰ってこられないと語っていました。どうすればそんなに勇敢に、強くなれるのでしょうか」と、問いかける。

 15階では、警備員が人々に避難を呼び掛けながら、メガホン越しに「ゴッド・ブレス・アメリカ(God Bless America)」を歌っていた。

「下手な歌でしたが、彼の意図は分かりました」とディトマーさん。豪華客船タイタニック(Titanic)号が沈没したとき、船長が乗客を落ち着かせて救命ボートに誘導するため、楽士たちに演奏を続けさせたのと同じことだった。

人間は愚かで失敗を繰り返すし、絶望し、生きるのが嫌になったり、人や出来事を恨んだりすることもあるものだと思います。しかし同時に、人は極限下におかれてこうした行動をとることもできる存在であるということもまた事実です。

消防士や救助隊員の方がした選択は、よかったのかどうかわかりません。死んでしまっては元も子もないから、もしかしたら救助に向かわないという判断をしたほうがよかったのでは…という思いも正直少しあります。

ご本人たちもそんなことは燃え盛る現場で百も承知の上だっただろうに、それでもそうした行動をとったという事実に私は記事を読みながら涙が出てきました。

そのような状況に置かれたときに、どのように考え、行動するのか。人間には何ができるのか。人間ってどういうものなのか。「想像」するのは簡単なことではありませんが、私はそうしたことを知り続けたいし、知れるきっかけが無料でも開かれていて欲しいと願っています。

私は今、さまざまな研究者や実践者の方々にお話を伺い一緒に考えさせてもらう、というインタビューYouTubeチャンネルを運営しているのですが、無数に起きた「あの日あのときのあの体験」の積み重ねが、私にそうさせているような気がします。

「セプテンバー・イレブン」やその後米国人の友人に起きたことは、間違いなく「あの日あのときのあの体験」のひとつです。

9.11で亡くなったすべての方々のご冥福をお祈りするとともに、あの出来事を契機に亡くなった方々、そしてアフガニスタンで今まさに起きていることにも可能な限りの「想像力」を馳せられるよう、知ることを止めず、これからも私にできる範囲の発信をし続けたいと思います。

書けども書けども満足いく文章とは程遠く、凹みそうになりますが、お読みいただけたことが何よりも嬉しいです(;;)