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夢記 響きの音色 | 夢記マガジン|#8

こんにちは。こちらは最近見た夢から、いろんな軸(男女、善悪、母子、姉妹、衣食住など)の捉え直しの段階に入ったと言えそうです🐣 これから、自分の性格や環境から新しい「自分定規」について文字に起こします。なにやら昔話のようなテイストも含まれるので、読んでくださる方にも何か心の動きが生まれるかもしれません? それでは、お話の始まり始まり〜🚪

⭐︎見た夢の内容

 映画館で映画を観ていた。映画と映画の間は外を散歩して時間をやり過ごし、たくさんの映画を見続けていた。

散歩から帰ってくると、自分の席に置いてある荷物が散乱していた。クレジットカードや財布が飛び出している。そして、風俗店のポイントカードが近くに落ちていた。心当たりがないので、それが荷物を探っていった人の落とし物だと仮定し、「犯人は男性かもしれない」と思う。

映画が始まるらしく、様子のおかしな席に戻ってきた私を映画館スタッフの女性がシアターの外に引っ張り出した。その女性は黒髪のショートカットできちんとアイロンがかけられたスーツを身につけている。仕事に熱心で、映画館の秩序を正すことにかけて迷いがない存在であることが伺える。

私は映画館の雰囲気を乱したことを詫びたかったがその心の余裕はなかった。自分の荷物が荒らされて困惑していた事に加え、急に外に出されてとても動揺しており、うわずった声で職員の女性に「私の財布の中身が座席の周りに飛び出ていたことは身に覚えがありません。風俗店のカードが近くにあったから誰かが荷物を探ったのかもしれない。この男性を探すのを手伝ってもらえませんか?」との旨を伝えた。

私の切迫した様子に少なからずうろたえた職員は、「わかりました」と応えてくれる。するとそこに男子トイレの中に慌てて入ろうとする男性が通り、なかなか様子も怪しいので声を掛けようとする。しかし彼が向かう先は男子トイレなのですぐに手の届かない壁の向こうに消えてしまった。

 犯人を探す機会を逃したように思った私はひとまず冷静になって事の次第を振り返る。考えているうちに、「そういえば映画館って暗いよなぁ。犯人と思っている男性は、荷物の置いてある席に気づかずに座っていただけなのかもしれない。犯人であるならば風俗店のポイントカードなんて身元のバレる恐れのある証拠品を落とさないよう気をつけるに決まっているじゃないか。」と、もう一つの筋道を見つけ、自分の不安をぬぐいさる考えを内省の着地点とした。そうして職員からはスルリと逃れるように離れた。

 気の赴くままに館内をうろついていると、右手の壁向こうに階下へと続く階段が見えた。初めて見る場所なので、「ここはどこだろう?」と一瞬思案した後、自分が職員専用フロアに迷い込んでしまったのかもしれない、と悟る。輪郭をもう一度黒でなぞったように見えるほど、心にはっきりと惹きつけられる空間だった。

職員専用フロアだったが、何食わぬ顔で階段の方へと向かっていった。どうせ誰にもわかりゃしないし、知らない空間に入ることはこの上なく好奇心を満たしてくれる。

階段脇にお茶のサーバーがあったので飲ませてもらった。桜緑茶なる洒落た美味しい飲みものだった。

そしてサーバーの奥にはふすまがある。50代くらいだろうか、男性2人がふすまの向こうで会談しているのを音からだけであるが察することができた。

緑茶、ふすま、と和の空間を抜けて下へと下った。長い階段は途中で急に幅が広がり、またさらに下る。その階段は異界へと続いているようだった。降りた先、左手側の空間には2000人は収容できようかというくらいのだだっ広い空間が広がっていた。

空間を進んでいくと手前には男が1人、奥には女が3人おり、それぞれの空間の主のような佇まいで座っている。全体として昔話のアニメのようなタッチになっていて、全く現実味がない。男は現実の生き物に近かったがどこか雅な雰囲気である。そして女は日本画からそのまま出てきたように輪郭はぼんやりとしていた。

空間を奥まで進むと上手側に舞台があったことに気づく。舞台は現実と同じようにリアルな様相で、楽器が所狭しと並んでいた。体育館が音楽会の時にステップを置くなどして装いを変えた状態に見えなくもない。しかしステージに並べられた楽器の間隔は人が腕を広げて自由に演奏するスペースとしては少し物足りないという感じだ。楽器の隙間をくぐり抜けるように進んでいくうちに、背後にはいつの間にか人がごった返していた。そうしてハープの前で行き場をなくしたように倒れ込み、目が覚めた。

⭐︎思ったこと

 最近、男女のことがテーマだろうという夢には「建物」のイメージが現れる。「男女の館」という題のドラマシリーズを観ているようだ。私の中の男女の価値観はどんな構造をしているのだろうか?この疑問を追究するように思ったことを書いていく。

 この夢に出てくる映画館は題の通り「男女の館」と言い換えられるだろう。私にとっての男女は初め、黒髪のショートカットの女性が管理している場所なのである。彼女のように厳格でグレーゾーンを許されない雰囲気の中、私はいくつもの映画(フィクション)を観ている。つまり現実(外)で主体的に男女の関わりを持つというよりは、起きたことを一旦持ち帰り、自分には関わりの薄いこととして内的な洞察を行っていたのだろう。

そんな中、外の散歩から帰ってきた時に事件が起きた。私の財布が荒らされていて、近くに男性のものと思われる風俗店のポイントカードが落ちていたのである。そうして映画館のスタッフにシアターの外に出されて、「男性から被害を受けた」と訴える騒ぎが発生するのだ。ここでいう騒ぎの実情は、私の男性に対する内的なイメージに変化をもたらす刺激が生じたということである。

ただし騒ぎの直後に男性はすぐに男子トイレに消えてしまう。私の自我(意識の中心)は自己(心の中心)の男性イメージをおとしめており、そのせいで
起こった変化の全体像がみえていなかったのだろう。自己にとって大切なはずの男性イメージはトイレに行くように当たり前の生理行動として、自我意識から行方をくらますことになった。

このようにその男性の手がかりを完全に失くした時(現実においても打つ手を尽くした状態の後)、私は冷静になって騒ぎについて再度考えることになった。まず私の財布が荒らされていることについてだが、長くなるのでまたいつか言及する。もう一つの風俗店のポイントカードについてだが、私は男性の生理現象を、例えばコンビニに行ってポイントでお茶をもらうように、餌に疑いもなく反応するような、浅薄なものと思っていたのだろう。そのためその持ち主をすぐに荷物を荒らした犯人としていた。ところがしばしの思案の末、「同じ座席に座った人が他意なく落としていったものかもしれない」と、自己の男性像に浅薄なイメージを当てはめることを放棄する結論に至った。

このように、自己の男性像を冷静にみえるようになったところで、私は職員専用フロアに辿り着いた。自分が建物(自分の成り立ち)を管理する側に移行したことがうかがえる。

そうして、さらに深層に向かう。その直前に見たふすま向こうにいる男性2人は、パートナーと私の父親のイメージと思われる。その伝聞される父親像の影響を受けつつ、少しばかり揺らぎのある無意識の旅をしたようだ。それゆえに自分の想いとして文字に起こすことが難しい箇所があるため、整理がついた時に追記することとする。

 その取っ掛かりとして、男女の対のイメージを見たことで再度読むことになった「とりかへばや、男と女(著・河合隼雄)」から、この夢に関わりの深いであろう箇所を一部引用させていただく。

現代人は言うならば、二分法の病いを病んでいる。自然科学における二分法に加えて、人間を考えるときも二分法が出てくる。そして、たとえば「男らしい」、「女らしい」などという分類ができる。心と体、自と他、善と悪などを明確に分離することによって、多くの成果(特に自然科学の)を得て来たが、それに対する自然からの反動として境界例が生じてきている。従ってそれの癒しとしての全体性の回復のために両性具有のテーマが生じる。

 そして最後になるが、この夢から覚める前に私がハープの前で力尽きるところにも着目しておきたい。

心の深いところで楽器のイメージが出てきたことに対し、AV監督代々木忠が「アテナ映像35周年記念 代々木忠傑作選 第3弾」におけるインタビューで話していることが想起されたので、一部を以下に引用させていただく。

僕は感情と本能に働きかける音楽にウエイトをとってますよね。性を撮ってますから。別の言い方をすると、オーケストラ、クラシック系っていうのは知性に働きかける、、音楽だと思うんですよね。そしてフラメンコや日本の演歌とかっていうのはやっぱり感情に働きかけて来るし、アフリカンビートだとか、そういうのは本能に働きかけてくる。津軽三味線だとか和太鼓だとか尺八だとか、フルート系でもバスフルートだとか、本能に、感情に働きかけて共鳴するのを音楽については担当に注文します

このように、音楽のジャンル、あるいは楽器の種類は心にあらゆる響きを与えるものだと言えそうだ。姉がクラシックを部屋でよく流していたのだが、その時メロディーに適当な歌詞をつけて遊んでいたことが思い出された。また、ハープは幼少期に不思議と興味を抱いていた楽器である。また追記する。

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