2月8日 弱さという宝もの

おはようございます。
神さまの愛が今日も心に注がれています。

☆今日の御言葉 第二コリント12章9−10節
『主は、「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中で完全に現れるのだ」と言われました。だから、キリストの力が私に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、私は、弱さ、侮辱、困窮、迫害、行き詰まりの中にあっても、キリストのために喜んでいます。なぜなら、私は弱いときにこそ強いからです。』

そのまま愛されることは、私たちが唯一変わることのできる力です。この世界にある方法は、弱さを強さに変えるように努力することや、困難を克服する知恵を得ることや、力強さを獲得するために人よりも勝ち上がることであるかもしれません。もちろん、それはある程度その人の生きがいとなり、人生の幸不幸を決定させてしまうこともあるでしょう。

じつは、幸福な道か不幸な人生か、この二つの道だけではないのです。第三の領域があります。不幸でありながら幸せで、弱くありながら強くされ、うち倒されても立ち上がり、行き詰まっても生きる道を失わず、かえってそのままの人生を誇り高く、弱さの中で働く神さまの力強さを体験する道です。

その道に歩いた人がいます。その人は、ある時、非常に辛い経験をしました。落ち込み、非難され、貧しくなり、病に苦しめられました。そこに天からの光が優しく、そして力強く照らされたのです。「恵みは十分与えられている。その憂いや貧しさや痛みから、良き業が始まる。弱さをそのまま誇りなさい。自慢するためではありません。人を侮るためでもありません。まったく弱くなった時に、神の力は限りなく注がれ、あなたの人生を決して暗闇で終わらせず、恵みは十分であったと、あなたは涙を拭うでしょう。」

弱さをそのまま誇れる人は、神さまにあって本当に強い人です。

”たしかに弱さを誇れると安易に思うことはできません。すぐに理解できないことの方が正しい感覚です。深い人生のこの領域において、私たちに必要なのは、注意深く神とともに歩むことであり、十字架の陰に深く身をひそめることです。すばらしい経験をすることをむやみに求めるのではなく、むしろイエスの死とこれまでにないほど深く一致することなのです。痛み、弱さ、侮辱、窮乏、そのまま・・深く。闇に沈み込んでいくようです。感謝など今は出てきません。ある人は弱い信仰者と思うかもしれません。なぜ喜んでいないのかと心配されてしまうかもしれません。しかし、その人は深い人生の領域に到達しているのです。その時、イエスの命がかつてないほど満ち溢れます。周りのすべての人にその命の喜びが浸透していくのです。”(ジェシー・ペン・ルイス)

弱くされ身は低く、高くされ心は高く歩みます。

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