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ジャック・ドゥーセ図書館


『ユリイカ 9月臨時増刊 総特集=ステファヌ・マラルメ』
(青土社、一九八六年九月二五日、装幀=宇野亜喜良)

宇野亜喜良の表紙に魅かれて『ユリイカ 9月臨時増刊 総特集=ステファヌ・マラルメ』を手に取りました。目次をざっとながめますと、井原鉄雄「J・ドゥーセ図書館とマラルメ」が目に止まりましたので買いもとめました。井原氏は中央大学文学部教授。マラルメの資料を調査しておられた方のようです。

ジャック・ドゥーセ(Jacques Doucet, 1853-1929)とその図書館について書かれている部分に興味がありました。

三年前のパリ滞在で念願のジャック・ドゥーセ図書館詣でを果すことができた。ジャック・ドゥーセという人物については「一九八三年に出た館長フランソワ・シャポン氏の著書(1)にくわしいが、なかなか興味ある人物だったらしい。前世紀末からベル・エポックにかけて巨万の富を築き上げたファッション界の大御所であり、文学と絵画の大コレクショナー、また当時無名のシュールレアリスト達の最大の庇護者の一人であった彼は、芸術作品の蒐集に巨額の金をつぎこんで少しも惜しまなかったのと同時に、人間不信、わけても己れ自身に対する強い不信感と孤独癖とから、自分という存在の根跡[ママ]をあたうかぎり消し去ろう深く決意した人物でもあった。初期には十八世紀絵画や書籍のコレクションに熱中するが、一九一二年からはアンドレ・シュアレスを顧問とし、彼の推輓で当時まだ無名の青年だったアンドレ・ブルトンを秘書に起用して、以後蒐集品選択の一切を彼等の慧眼にまかせたのである。こうして十九世紀から二〇世紀初頭にかけての絵画(マネ、セザンヌ、ゴッホ、ピカソ、マティス、アンリ・ルッソー等)および文学関係のオリジナルやマニュスクリ(フローベール、ランボーからアポリネール、シュールレアリスト達、ジイド、ヴァレリーまで)の一大コレクションが実現したのである。彼は一九一八年にこれら蒐集品のすべてをパリ大学に寄贈し、そのうち文学関係のものは現在サント・ジュヌヴィエーヴ図書館付属のこのジャック・ドゥーセ文学図書館に保管されている。》(p51)

(1)François Chapon: Mystère et splendeurs de Jacques Doucet, 1853-1929, J.-C. Lattès, 1983.

アンドレ・ブルトンの略歴(『André Breton』Centre Pompidou,1991)によりますと、一九二一年の六月から七月ごろ、二十五歳のブルトンはドゥーセの芸術および文学の相談役(conseiller)として契約を交わしています。これによって年間20,000フランの顧問料が入ることになり、ブルトンは晴れてシモーヌ・カーンと結婚することができました。ただ、ドゥーセとの関係はドゥーセが図書館創設に着手した一九一六年にはすでにシュアレスを介して始まっていたようです。またドゥーセ図書館のホームページには、パリ大学は一九三二年にコレクションの遺贈を受け、翌年からサント・ジュヌヴィエーヴ図書館の一室で一般公開したと書かれています。

Une bibliothèque consacrée à la littérature du XIXe et XXe:
la bibliothèque Jacques Doucet

https://www.sorbonne.fr/la-chancellerie-des-universites-de-paris/une-bibliotheque-consacree-a-la-litterature-du-xixe-et-xxe-la-bibliotheque-jacques-doucet/

ドゥーセ図書館は八月九月のヴァカンスと復活祭の休暇を除き、毎週月・火・木・金の四日間午後二時から六時まで開館している。建物はパンテオンの真横、サント・ジュヌヴィエーヴ図書館と通り一本を隔てた目立たぬ一角にあって、玄関脇にごく小さな表札があるだけだから、それと知らなければ何も気付かずに通り過ぎてしまうだろう。インターフォンで名前を告げ、重い扉を押して中に入るとほとんど日も差し込まぬほどの暗さである。摩り滅った木の螺旋階段を登りつめた三階が図書室で、五、六坪くらいの小さな部屋に四人掛けの大机が三つ並んでいる。室内はいつも閑散としていて、多い時でも二、三人、行ってみると私一人ということも屢々だった。右手隅には女性司書のプレヴォ夫人とミス・ザッキが交替で詰めており、依頼した手稿を奥から運んできてくれる。カード・ボックスはそれほど大きなものではなく、ジイド、ヴァレリー等々と並んで、マラルメの分は確か四ケースだったように記憶する。》(p51-52)

パリに滞在していたときにサント・ジュヌヴィエーヴ通りを何度か歩いた記憶があります。パンテオンからモベール・ミュチュアリテの方へ坂を下って行く狭い通りだったかと思います。ドゥーセ図書館がそんなところにあったとは知る由もありませんでした。もちろん知っていたとしても、どうしたというものでもありませんが。

『André Breton』(Centre Pompidou,1991)よりドゥーセの肖像写真
「がまんできるほどの行き違い続き・・・」François Chapon

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