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両親は、4歳のぼくにはじめて大人向けの本、『美しい花とその育てかた』をくれたのだった。


デレク・ジャーマン著/ハワード・スーリー写真『デレク・ジャーマンの庭』
(山内朋樹訳、創元社、2024年4月10日)

デレク・ジャーマン(1942-94)は映像作家であり、舞台美術も手がけた画家、作家である。個人的には、独特な艶かしさをもった映像が非常に印象的だった映画「カラヴァッジョ」(1986)の作家として認識している。メープルソープらとともにエイズ・カルチャーのスターの一人だったと言っていいかもしれない。洗練の果てにたどりついた退廃といった雰囲気がいかにも80年代的だった。

そのデレクがエイズを抱えながら晩年を過ごした場所がイギリスはケント州の海岸ダンジュネス(Dungeness)だった。ダンジュネスは地形学的に重要な土地でロムニー・マーシュ、ライ湾とともに環境保護地区ではあったが、すぐそばにダンジュネス原子力発電所を擁していた。

1986年、ダンジュネスにロケハンにやって来たデレクは売りに出ていた漁師のコテージを一目で気に入って買い取り、プロスペクト・コテージと名付けた。海岸で拾った流木やフリントストーンなどで庭を作り、植物を育てたり、オブジェを設置するなど、自然のなかでゆったりとした時間をすごした。そのダンジュネスでの生活をデレクの文章と詩、ハワード・スーリーの写真で美しく見せてくれるのが本書である。

元本は『Derek Jarman's Garden』(Thames & Hudson, 1996)。この本で話題になり、さらにデレクの歿後、プロスペクト・コテージがクラウドファンディングによって維持されることが決まって盛り上がったことがあった。

映像作家デレク・ジャーマンの咲き続ける庭〈プロスペクト・コテージ〉
https://brutus.jp/derek_jarman_garden/?heading=1

コテージの外観も可愛いし、古い木のインテリアも好みである。庭の本なので庭の写真が中心なのだが、3枚ほど掲載されている書斎が渋すぎる。

 家具はシンプルで、その多くはスクラップ置き場や浜辺で拾ったこまごまとしたものからつくられている。
 ぼくはたくさんの小さな彫刻と、この「第5[フィフス]クォーター」に捧げる二つの十字架をつくった。壁には石を連ねた輪のついた棒が立てかけられている。ぼくの風景画もあるし、ロバート・メドリーの素晴らしい《聖セバスティアヌス》の祭壇画、モスクワのアルバートから来た反共主義者の油絵もある。台所には古い食器棚と、見事なニレ材のアンティーク食料貯蔵庫ーー格子の扉とスレートの棚のついたーーがある。それくらいだ。この家は冬には暖かく、暑いときには涼しい。

p66

「第5クォーター fifth quarter」とは注釈によればこういう場所である。

この文脈では「あるはずのない場所」であり、仮にあるとしても余り、すなわち「とり残された場所」ということだ。

p146

じつのところデレクは少年の頃から庭いじりが好きだった。

 ぼくはいつだって情熱的な庭師だったーー子どもの頃は、中世の写本のように花がきらめいていた。白と赤のヒナギク、芝生の上のヒナギクの花輪、刈りとられた草の山を覚えている。忘れられないのはマッジョーレ湖畔にあるヴィラ・ズアッサの魅力的で生い茂った庭だ。1946年の4月、この場所で両親は、4歳のぼくにはじめて大人向けの本、『美しい花とその育てかた』をくれたのだった。

[中略]

 両親のアパートに戻ると、ぼくは紫のアイリスを植えた。父はぼくの興味を利用して、芝生を刈らせて喜んでいた。けれども、ぼくの子ども時代の情熱は、18歳でロンドンに移ったときに終わりを迎えた。 

p11

早すぎる晩年をふたたび庭いじりの情熱とともに過ごしたことになる。

この海の緑に
竜の牙の庭をつくった
玄関を守るために、
忠実な戦士たちは
それらが見苦しいと抗議する者たちに抵抗する
世界の終わりまで。
底知れない無気力がぼくを包み込み、
疑いの大波がぼくを打ち砕き、
どんな想いも洗い流されてしまう。
嵐は潮の涙を吹き散らし、
ぼくの庭を焼き尽くす、
ゲッセマネを、エデンを。

p82

ゲッセマネは新約聖書に出ているキリストが弟子たちに別れを告げ捕縛された場所。エデンは創世記にみえる楽園である。

ジャーマンの庭は死を前にして仲間たちと過ごす園ーーゲッセマネーーであり、同時に動植物の生命あふれる園ーーエデンーーでもある。「園」は、ジャーマンが参照したと思われる英訳聖書ではもちろん'garden'つまり「庭」のことだ。

p146

結局、自然はそれらを無へと帰してしまう。これは誰にも抗えない。今では稼働を停止している原子力発電所もしかりであろう。

余計なことながら、筆者も1980年にケント州の港町フォークストーンにしばらく滞在していたことがある。ドーヴァーに近い場所だったが、バスに乗ってロムニー・マーシュ(文字通りの沼地)を抜け、中世の街並みが保存されているライにまで行ってみたことがある。

今思えば、もう少し足を伸ばせば、ダンジュネスも見られたわけだ。ケント州そのものがガーデン・オブ・イングランドと呼ばれていたくらいで緑の多い土地だった。羊の点々と白く見える緑の牧草地が広がっていた。そんな牧場や森を縫う細道を村の掲示板で見つけて安く買ったボロ自転車で駆け回っていたのもいい思い出である。本書を眺めながら、そんなケントでの日々を懐かしんでいる。


デレク・ジャーマンの庭
デレク・ジャーマン 著 / ハワード・スーリー 写真 / 山内 朋樹 訳
https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=4862

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