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"ブルー・ポールズ"は門外不出なのであった。


『現代美術17 ポロック』(みすず書房、昭和38年11月25日)

この『ポロック』、画集としてのクオリティは低いものの、収められた図版はいずれも、最近のノッペリとしたカラー印刷では決して見られない、鈍い美しさをもっている。ポロックってやっぱりいいなあ、と微妙に網点のズレた図版を眺めながらため息をつく。

だいたいにして画集のテキストほど面白味のないものはないのだが、本書もその例に漏れない。ただし挟み込みの「現代美術〈月報〉」(1963.11.25)に清水楠男(東京・南画廊ディレクター)が寄せている短文「ブルー・ポールズ」は当時のポロックや南画廊の状況を彷彿とさせる非常に興味深い内容だった。前置きの部分のみカットしてあらかたを引用しておく。読みやすいように原文の改行を1行アキとした。

「現代美術〈月報〉」と「ブルー・ポールズ」(1953)の図版頁

 「"ブルー・ポールズ"のコレクター、ベン・ヘラー氏邸に五時半に案内しよう」と紐育近代美術館のW・リーバーマン氏が計らってくれたのは、東野芳明氏の後について、ジャニス画廊のポップ・アート・ショウで毒気にあてられたり、画廊、作家めぐりで歩きつかれ訪ねつかれた昨秋のことだった。

 セントラル・パークの豪壮なアパート、御主人は若く学者肌で既製服の大メーカーとか、ホール正面にはジョーンズの白い堅牢なマチエールのアルファベットの大作があり、わが画廊より広い居間の向きあった壁面の右手に、"ブルー・ポールズ"があった。

 ポロック画集を見る度に想像した大きさが現実にそこに展開されても夢のようで立ちつくした。意外に静かな世界だ、いまも印象は言葉にならない、そこにあったのはまさしくポロックだったとしか言えない。

 向かいあって「ONE」がある、一口に言ってその壁面全体が「秋」のように見えた。きさくに夫妻が話かけてくる。スティル、ロスコー、クライン、ニグロ彫刻の逸品まで室内の調和も見事で、こんな時外国人のようにオーバーに感激の表現が出来ないわれわれの美徳をヘラー夫妻は何と思っただろうか。


「私は今日、小さなポロックを一点買いました」思い切って胸を張って行って見た。
「R画廊のを買ったのか」
すかさず、画廊の名前を言われたのに驚いた。数日前彼もその作品入手の通知をうけて見に行ったこと、一九四六年作ドリッピングの始まる前年、ゴーキーやミロ等の影響のもっとも強いもの、"モービー・ディック"の主題である等々たしかに僕の買った絵なのであった。
「君はよくあの作品を買った。勇気がある。重要な意味をもつ時期の作品として、むしろドリッピングの様式だけのものをティピカルなポロックと、大金を出して追いかけるよりはずっと良いなどと、私があたかも欧米画商に伍してポロックの作品と言えば十数万ドル出しても追いかけ廻している一味のように扱われそうになってハラハラした。

 アメリカの大コレクターと言えばドルにものを言わせて、印象派はじめエコール・ド・パリー等の絵を買いまくる、この西欧美術一辺倒の例は今もコレクターに多くの例を見るのだが、ポロックの出現を転機として、自信をもって、このヘラー氏のような(ピカソもマチスもその壁にはなかった)コレクションが進められている一例を見て、これらの人々にささえられているアメリカの美術界の充実した発展をたくましく、たのもしく感じた。


 永い療養生活から開放されて、サム・フランシスがニューヨークに帰っていた。

 ヘラー氏が計らずも太コ判を押してくれた私のささやかなポロックを、約束でもあったし又自慢したくもなって、深夜サムのアトリエに絵をかかえて行った。

 昨日まで彼や東野氏にも相談なしで決めたので、御二人から偽物ではないかなどとオドカされていた。絵などと言うものを買う時はあまり人に相談などしていると結局出端を挫かれて決められないことが多い。サムは買物の成功を祝し握手してくれた。

 "ブルー・ポールズ"を見て来た話題になった。

「俺は、まだ見たことがないのだ」とポロック以後の代表的アメリカ画壇の選手はまるで動物園に行ったことがない子供のようにくやしそうな顔で言った。

 "ブルー・ポールズ"は門外不出なのであった。


清水楠男が買った「モービー・ディック」1946

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