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コレクションの一部となったとき、本はよむものであることをやめる。


林大地『世界への信頼と希望、そして愛 アーレント『活動的生』から考える』
(みすず書房、2024年4月25日2刷)

下鴨古本まつりの前夜祭イベントということで京都新聞社7階サロンルームにおいて林大地氏とトークショーを行うことになった。司会は樺山記者。多数の古書店記事をこれまで紙面で執筆している古本者である。

下鴨古本まつり+THE KYOTOコラボ企画トークイベント
「“古本病”のかかり方」
8月10日(土)午後5時
京都新聞社7階サロンルーム

https://thekyoto.arena.town/ticket_detail/10020
佐野繁次郎『裸のデッサン』進呈!(ただし数に限りありです、林)

第37回下鴨古本まつり(2024年8月11~16日)にあわせ、主催する京都古書研究会と、京都の古書店を記事で紹介している京都新聞のデジタルメディア「THE KYOTO」が共催でトークイベントを開催します。ゲストに気鋭の若手研究者として注目を集める京都大大学院生の林大地さんが登場。古本の世界にのめり込み、研究でも光を見いだしたといいます。古本雑誌「古本スタイル」を刊行する画家・エッセイストの林哲夫さんと、古本「沼」について語り合います。

 ○開催日 8月10日(土)午後5時(受付は午後4時半から)
 ○場 所 京都新聞社7階サロンルーム(京都市中京区烏丸通夷川上ル)
 ○参加費 3,000円(チケット発券料165円が必要)
 ○特 典 下鴨納涼古本まつりで使える金券(200円分)を贈呈

林大地氏には『古本スタイル』04号に寄稿してもらっている。「かなりハマっているぞわたしは」と題してそのすさまじい古本買いの記録を披露してくれた。まさに「古本病のかかり方」(岡崎武志古本大明神の著書のタイトルです)を地で行くモーレツな買っぷりに驚くほかなかった。

小生はこの雑誌のレイアウトを担当しているため、校正を大地氏とメールのやりとりで行ったが、さすがに優秀な執筆者だと感服した。直接お会いしたこともあるが、そのときは挨拶したくらい。いい機会なので、じっくり古本病根を聞き出したいものである。

『古本スタイル』04号

『古本スタイル』04号
https://sumus2018.exblog.jp/30796649/

そんなことで、林大地『世界への信頼と希望、そして愛 アーレント『活動的生』から考える』(みすず書房、2024年4月25日2刷、増刷とは素晴しい)を新刊で(!)買って読んでいる。まだ半分にも達していないが、いろいろ考えさせてくれる。例えば「物」についてのアーレントの考察を紹介するくだりはちょっと面白い。

『活動的生』には三種類の物が登場する。(一)消費財、(二)使用対象物、(三)芸術作品、の三つがそれである。消費財はパンなどの食べ物を、使用対象物はテーブルなどの家具を、芸術作品は絵画や彫刻などを思い浮かべればよい。

p45

「物」はパン、テーブル、絵画に分けられる。う〜む。そして、これらを「物」としてひとまとめにしている尺度は「持続性 Dauerhaftigkeit」なのだそうだ。長持ちするものが善である。

なぜなら、パンは一週間ともたないが、テーブルは数年あるいは数十年ともつし、絵画や彫刻に至っては数百年あるいは数千年ともつからである。

p47

おおお、シンプルな考えだ。しかしこれはさすがにシンプル過ぎるんじゃないか。

たとえば絵画は、美術館での厳重な保護のもと、額縁に入れて大切に飾られ、腐朽のプロセスから可能なかぎり隔離される。

p48

美術館にあるものだけが芸術品なのか? テーブルは美術品たりえないのか? 疑問の連続。ただ、次のくだりは傾聴に値する。『暗い時代の人々』所収の「ヴァルター・ベンヤミン」で語られる「収集」をめぐる逸話である。以下本書の引用の引用。

収集はどんなカテゴリーに属する対象物とも結びつくことができる(その対象となるのは芸術作品だけではない。芸術作品はいずれにせよ、何かの「役に立つ」ということがないため、使用対象物から或る日常世界から取り除かれている)。また収集された対象物はもはや、目的のための手段ではなく、それに固有の内在的な価値を持つ。収集はそれゆえ、対象物をいわばひとつの物として救い出すことができる。〔…〕収集とは、人間の救済を補完すべき物の救済なのである。真の愛書家にとっては、自分の蔵書を読むことさえ、どこか疑わしいところがある。「「それではあなたはここにある本をすべてお読みになったのですか?」。アナトール・フランスは、彼の蔵書を褒め讃える者にそう聞かれたのだという。「十分の一も読んでいません。あなただって、お持ちになっているセーヴル焼の陶器を毎日使っているわけではないですよね?」」

p48-49

収集が使用対象物を芸術作品にするという主張であって、これにはある程度、納得できる。何でも数が集まれば別物になる(違った価値が出てくる)。ただし、役に立つ、立たないということ自体については、もっと深く考えてもいいだろう。

 収集という営みは、たとえば本という使用対象物を、芸術作品のあり方へと近づける。私たちは普通、本は読むものだと考えているが、それが収集の対象となり、コレクションの一部となったとき、本はよむものであることをやめる。それはただそこに置かれるもの、あるいは飾られるものとなる(セーブル焼の陶器がもはやそこに何かを容れるものではなくなるのと同じように)。
[中略]
すなわち消費や使用から慎重に遠ざけられ、大切に保管されるがゆえに、世界性=永続性を帯びることになる。だからこそ、世界の世界性が真実に煌めくのは、芸術作品においてなのである。芸術作品はつまり、世界の世界性の象徴なのである。それゆえ、アーレントが「世界」という言葉を発するとき、そこで究極的な事例として象徴的に思い浮かべられているのは、私たち死すべき人間の寿命を大きく超えて存続する不滅の存在者、すなわち芸術作品なのである。

p49

本の美はどこ? まあ、とにかく、永続性だけで物を分別しようというのは、ごみ収集の分別よりもシンプルかも。燃えないゴミの方が偉いわけだ。

小生は常々本のもっとも顕著な特長は物として存在することだと思っているから、同感するところもあるが、永続ということだけ考えれば、電子の状態になった方が不滅に近いのではないかと思えてきたりして正直ゾッとすることもある。

最後まで読んだら、また感想を書いてみたい。

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