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あゝ独歩君は居なかつたのだつけと心で云ふ。
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いつ買ったのか記憶にないが、傷んでいるためか、高くはなかったはずだ。カバーがあるらしく、カバー付きならウン万円になるもよう。明治終わり頃から大正にかけてこういった漫画集というかカット集が人気で、いろいろな人の画集が発行されていた。小生も何種類か架蔵している。
夢二画集 春の巻
https://sumus2013.exblog.jp/32789442/
ヨヘイ画集
https://sumus2013.exblog.jp/32792281/
スミカズ画集 妹の巻
https://sumus.exblog.jp/12225663/
これら三人の画集にわずかに先立つのが本書『漫画と紀行』である。《漫画の多くは、冒険世界、新古文林、文章世界、早稲田文学、方寸、江湖、達観等に掲載したるもの、紀行の大部分は、毎日電報と東亜新報とに掲載したるものなり》と巻頭に書かれている。夢二画集、ヨヘイ画集はどちらも雑誌に発表したコマ絵を集めたもので未醒と同じやり方。ただ、スミカズ画集は、はっきりは分からないものの、書き下ろしふうな感じがする。
『漫画と紀行』から、まずは読書、本の登場する場面を紹介しておこう。
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※本は登場しませんが、この絵描きさんたち、誰なんでしょうね?
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紀行文からは「四十年夏 御嶽詣」の茶屋のくだりを引用してみる。旧漢字は改めた。
やゝ暫くして、向ふに円く空がすいて見えた、峠に来ましたと人夫の爺が後の方で呼ぶ、救はれたものゝ如く、木葉のトンネルから跳り出て、沢戸峠の上に立つ、峠の茶屋が一軒一人の爺が居る、大きな鳥居があつて、藍や柿色やの招きが夥しくかゝつて居る、日が心地よく目の下の渓に落ちて、幾個の遠村を照し出す、幾十重の山がそれからそれと峠を連ねて、近い緑は遠い青となり、雲になるかとすれば、又其彼方に山があり、其の山々の向ふに帝王のやうな威厳を持つて、乗鞍嶽が立つて居た、いやまだ遠いのがあつた、乗鞍の肩越しに、槍ケ嶽の頂がのぞいて居た、雨人君は其の三脚を据えて、雲烟と山岳とをレンズの裡から盗まうとして居る、あれあれと云ふまに又雲がかくして、当の的の御嶽山はチラリと其肩を見せたばかり此時我等に会う事を忌んだ、茶屋の爺が乾し栗を茶受けに出した甘いと賞めて、茶代が分外であつたが、立つ時一盆の乾し栗を尽く我等のポケツトに贈つてくれた、冬は此の峠の雪が五尺を越すと云ふ。
もう一箇所引用したい。それは「巻末言」である。国木田独歩に対する友情と追悼の思いがあふれるいい文章だ。1906年、矢野龍渓は近事画報社の解散を決意したが、同社で多くの雑誌を編集していた《独歩は、自ら独歩社を創立し、『近事画報』など5誌の発行を続ける。独歩の下には、小杉未醒をはじめ、窪田空穂、坂本紅蓮洞、武林無想庵ら、友情で結ばれた画家や作家たちが集い、日本初の女性報道カメラマンも加わった。また、当時人気の漫画雑誌『東京パック』にヒントを得て、漫画雑誌『上等ポンチ』なども刊行。》(ウィキペディア「国木田独歩」)。本書が刊行される一年弱前になる明治41年〈1908年〉6月23日に病没した。
『漫画と紀行』の校正をして居る、冬の夜深けて、遠くで犬の声がするばかり、本が出来上ると、其一部を誰に、一部を彼にと、楽んで見て呉れる友人達に贈るが楽みだ、誰、彼、と指を折るうちに、ふと一人欠けて居るのに気が付く、あゝ独歩君は居なかつたのだつけと心で云ふ。
未醒が日露戦争の従軍記者となったとき、その画報通信が社内で不評で、呼び返せという声が起こったのを独歩がかばってくれた。独歩は未醒の発見者だった。
独歩が其時、彼は今自己の趣味の領域を征服しつゝあるのだ、呼び返すのは両方共につまらぬ、暫く見て居給へと云つた、自分は自分の地位を確かにせられたのも無論嬉しかつたが、今迄、何をやつても何を画いても、余り歓迎された事が無かつたで、所謂此の知己の言がひどく自分の心を打つた、其時は未だ碌に交際つて居ない頃であつた。
今此本を作るに当つても、生きてさへ居れば、例の如く序をかいても呉れだらう、或は題名の相談にも乗つたらう、製本は未だかと性急な催促もしたらう、二冊位はよこせと我儘も云つただらう。
小杉未醒は刊行時に二十八歳。独歩はその前年、三十七歳を前にして歿している。
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