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文学少女を求む
『荷風研究 文明』第二巻第三号(通巻四号、世界文庫、昭和三十八年七月)をある方から頂戴しました。喫茶店を舞台にした小説が掲載されているからということで。感謝です。
それは畠山清身の「石ころ」と題された短編。まず冒頭で、作者は、これは昭和十一年頃の作であると断っています。当時、高円寺駅の近くにカフエー・ベニという御座敷喫茶店があったそうです。経営者は辻本浩太郎。《現在『女性新聞』『ゼントルマン』『週刊カメラ』『小説通信』等を出している、週刊誌出版株式会社の取締役社長》。
当時、このカフエー・ベニに、自称石ころという十六才位の文学少女が現われ、約一ヶ月に亘って、集まる文学青年、老いたるは生方敏郎老先生を始め、故新居格先生、故坂ノ上玄夫先生、故脇進先生、若きは現在の内外タイムス社名総務局長関英太郎先生、写真弘報の名編集長片岡純治先生等を悩ましたものである。
文学少女を求む
(月給十五円より五十円まで)
当方・文士経営
高円寺カフエー・ベニ
新聞でこういう求人広告を見た語り手(彼もまた文士の端くれである)はムラムラっとその店を訪ねてみたくなります。ちょうど代筆原稿の稿料が入ったところだったので、女房から五十銭玉を一つもらって(3000円弱?)出かけることにします。そういう場所に行くときの仲間である棚子参介を誘いました。(以下は下記にてどうぞ)
石ころ daily-sumus
https://sumus2018.exblog.jp/30844600/
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