『枕草子 紫式部日記』(日本古典文学大系19、岩波書店、昭和33年第1刷)が均一棚出ていました。前にも持っていたようにも思いましたが、処分したのは間違いないので、ふたたび入手。紫式部日記の書物に関するくだりを引用しておきたいと思ったからです。
まずは、当時の習いとして新生児に本を読み聞かせるという風がありました。一条天皇第二皇子敦成親王(後の一条天皇)が生まれ、その御湯殿の儀(皇子誕生に際して産湯を浴びさせる行事)のときのことです。
文よむ博士とは《読書博士。御湯殿の儀に紀伝明経の博士が漢籍のめでたい文章を選び読む。》です。《史記の一巻》とは本書の註によれば《御堂関白記には孝経とある。》、また佐山濟『原文・頭註・評釈・研究 女流日記』(日本古典読本第四巻、日本評論社、一九四二年)の註によれば《史記の一巻》は「五帝本紀第一」のことで《例の孝経》は「孝経」天子の章「愛親者不敢悪於人……」を三回読むとあります。読書の儀は七日間交代で奉仕されるのだそうです。
もう一カ所は御前(中宮)が個人的に楽しむために特別な冊子を作らせるというくだり。
御冊子は《紙を折重ねて綴じた書物をいうが、以下ここでは源氏物語の豪華な清書本が式部を中心にして作製される有様をのべていると考えられる。》。文中に《物語の本ども》とあるのが「源氏物語」の原稿だったようです。部屋に隠しておいたのを勝手に殿(道長)に持ち出されてしまいました。仕上げた原稿は失ってしまったので、持ち出されたのは草稿でした。あれではどんな評判が立ったか心配だなあ、といった感じでしょうか。
さらに殿から贈られた特別仕立ての歌の書物たちがゴージャスです。
御櫛筥(おんくしばこ)
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道長と紫式部がかなり深い関係だったことがこの文章から分かるような気がします。