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そのうち人生坐前の草ぼうぼうの焼け跡に藁火書房という古書店ができた。


種村季弘『徘徊老人の夏』(筑摩書房、1997年7月10日、カバー写真撮影=村越元)

徘徊老人の夏』読了。種村季弘は個人的な好みで言えば、ビミョーなのだが、この本に関しては面白く読んだ。広範囲な読書による体験と現実社会の観察をカクテルにしたような味わい。執筆時期が1990年代ということで、身辺随筆には、かなり懐かしい単語が頻出する(例えば「ポア」とか)。それはそれで新鮮だ。もちろん、いろいろ教えられることも多かった。

なかでビックリしたのが「人生坐」というエッセイに登場する藁火書房のことである。人生坐は山窩研究家の三角寛がオーナーで池袋東口にあった映画館(執筆当時もあったそうだ)。私も三角寛の自宅前を池袋の知人といっしょに通って「ここがサンカで有名なミスミカンのおうち」と教えられたことがあった。立派な邸宅だったように思う。

種村は40年ほど前(ということは1950年代か)この映画館に通い詰めてハリウッド映画をあらかた見尽くした。

 そのうち人生坐前の草ぼうぼうの焼け跡に藁火書房という古書店ができた。文芸書と戦前輸入の洋書、翻訳書がほぼ半々に並んだ。店主が日本浪漫派とモダニズムの教養体験を踏んだ人と、一目で知れる在庫目録だ。
 それからは人生坐と藁火書房の間を往復した。手持ちの洋書を手放して、さて人生坐ロビーで漬け物肴にほろ酔い加減ときた日々も、ないではなかった。
 藁火書房は裏手で小さな印刷所も経営していた。お上さんがねんねこに坊やをおんぶして名刺印刷の字をひろっている。やがて出版を手掛け、谷川雁の詩集『天山』などもここから出た。そういえば、上京した谷川雁が店主と歓談中のところをチラと目撃したことがある。
 人生坐は場所を移していまも健在である。藁火書房は消えた。正確には、古書店のほうは消えた。しかし印刷部門は拡大されて、国文社という出版社に生まれ変った。いまの出版物奥付にある発行人はどうやら二代目らしい。とすればそれが、あの頃ねんねこにくるまっていた坊やの現在ということになる。 

p139

谷川雁の詩集『天山』は1956年発行である。たまたま手元にある国文社の『ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ詩集』(1965.8.1, 印刷=藁火書房印刷部)の発行者を見ると前島幸視となっている。またもう一冊『エミリ・ディキンスン詩集』(1974.11.30再版, 印刷=国文社印刷部)の発行者は前島俶である(こちらが種村の見た坊やであろう)。住所は東京都豊島区南池袋1-17-3前島ビル。藁火書房と同じ。『全国版古書店地図帖』(圖書新聞社、1973年版)では新刊書店に分類されている。

『全国版古書店地図帖』(圖書新聞社、1973年版)より
△(新刊書店)に12とあるところ(稟は藁の誤植か)

ご近所古書店史 藁火書房 
https://ouraiza.exblog.jp/9239662/

前島幸視で検索してみると句碑が見つかった。

犬槇の
うらより
見たり
花の海
   白皃

句碑の裏面には、
白〇(はくぼう) 姓は前島、名は幸視、大正二年埼玉県に生まれる。戦後、東京池袋に出版業
国文社を創立。俳誌「河原」同人、俳人協会会員。
彫句は第三句集「観無量寿経変相図」所出のものである。
この句は天然記念物に指定されている犬槇の裏側、すなわち暗い北側から眼下に広がる満開の花の海を見下ろしている作品である。

厚木市の寺社史蹟巡りー6

厚木市の寺社史蹟巡りー6、飯山観音 長谷寺(ちょうこくじ) その2
https://plaza.rakuten.co.jp/ozin0523/diary/202402110000/

俳人でもあったようだ。前島白皃で探すと以下の著書がある。

⚫︎句集 観無量寿経変相図 前島白皃著 国文社 1961.6.5
⚫︎句集 織女星(河原叢書11) 前島白皃著 国文社 1972
⚫︎句集 五百塵点劫 前島白皃著 国文社 1977.7
⚫︎大鳥島戦記 前島白皃著 国文社 1982
⚫︎俳句は一人称の文学である 前島白皃著 国文社 1984.1
⚫︎句集 観無量寿経変相図(河原叢書39) 前島白皃著 国文社 1986.6

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