どうかしてシャトレエを逃げ出して、命のあらん限り、僕はお前を救ひ出す事に力を尽さう
『マノン・レスコオ』は、7巻からなる自伝的小説集『ある貴族の回想と冒険』(Mémoires et Aventures d'un homme de qualité qui s'est retiré du monde)の第7巻に当たる『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』(Histoire du chevalier des Grieux et de Manon Lescaut)が一般にそう呼ばれている恋愛小説である。原著は1731年刊行。
広津和郎の「序」によれば、この作品は世界の恋愛小説の中でベスト5に数えられるべきもの、だそうだ。
広津はフランス語が読めないため英語版から訳した。そのせいか固有名詞がフランス語読みになってない。また原書は本書の倍ほどの量があるとも言っている。例えば、先日たまたまプッチーニの「マノン・レスコー」(1893年初演)から、マノンが流刑地のアメリカへ連行される船に同乗するため、主人公のデ・グリューが同乗させて欲しいと船長に滔々と訴えるときに歌うアリア「狂気のこのわたしを見てください」を聴いたところだった。彼の気迫に押された船長は「見習い船員」として同乗を許可するのだが、そのシーンが本書ではアッサリと
この一行で済まされている。ビックリ。半分に減らすにはこのくらい端折らないといけないようだ。
デ・グリューやマノンは何度もパリの監獄に入れられることになるが、その監獄が今日とは少々違って、なかなか融通が利く場所なのである。元々は貴族たちがそれぞれに獄舎を所有しており、ルイ十四世がそれらを統べるようになる1674年にはパリに18の獄舎があったという(Wikipédia「Prisons de Paris」)。
デ・グリューは最初のときにはサン・ラザアル監獄(L’enclos Saint-Lazare)に容れられる。中世にはレプラ患者の収容所だったそうで、1701年の地図で見ると周りはすべて畑である。現在は10区で東駅の近くになるようだ。次に入るのがル・シャトレエの牢屋(Prison du Grand-Châtelet)でこちらはなかなか厳重な設備だったらしい。現在の1区、パリの中心地にあった。
一方マノンはマグダレンに入れられたとある。これはマドロネット修道院(Couvent des Madelonnettes)のことだろう。マドロネットというはマグダラのマリア(マリーマドレーヌ)の娘たち(des filles de Marie-Madeleine)要するに売春婦を収容する矯正施設で12世紀に創立されたそうだ。現在は跡形もなく3区のフォンテーヌ・ジュ・タンプル通り(rue des Fontaines-du-Temple)に銘板があるのみ。
二人が二度目に捕まってシャトレエへ移送された場面を引用しておく。二人は馬車の中で愛を確かめ合った。どんな事態になっても愛しています、というマノンの言葉に勇気づけられるデ・グリュー。
地獄の沙汰も金次第・・・かな。こうなると全訳で読んでみたくなる。野崎歓訳の光文社古典新訳文庫(2017)が出ているから探してみよう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?