見出し画像

あの絵は御覧の通り署名することが出来ませんでした。病床には、いつも自分の画を置いて、見詰めておりました


京都のみやこめっせで開催されている春の古書大即売会へ。初日につづき二度目。雨の初日とは打って変わった快晴。汗ばむ日和だった。初日に迷って買わなかった木版画を探して見つけ出す。幸にも売れていなかった。セット版画をバラした一枚なのでためらったのだが、そのセットを買うとすれば、きっと何万円もするのだろうと思い直した。

これで目的は達したので、ゆっくり、のんびり、ぶらぶら歩き。来場者はかなり多いが肩が触れるほどではない。すると、ある店で近代美術の絵葉書が詰まった小ぶりな箱に目が止まった。安い(十年前なら「高い」と思ったかもしれないけれど)。一枚一枚ゆっくり図柄と作者名を確認する。なかなかいい絵が揃っている。なかでも思わず声を出しそうになったのが、上の写真の関根正二。

第六回二科美術展覧会出品
慰められつゝ悩む 故関根正二氏筆

関根正二の絶筆である。本作については下記サイトに詳しいので直接参照していただきたいが、ここでもその一部を引用しておく。

関根正二 最後の一年 - 福島県立美術館
https://art-museum.fcs.ed.jp/wysiwyg/file/download/1/6695

《慰められつゝ悩む》は、絶筆となった作品である。「死の境地が見へ出してから急いで描いた、それも最後まで筆の届かぬうちに死なねばならなかつた」(村岡黒影「関根正二君を憶ふ」『みづゑ』第一七八号 一九一九年一二月『遺稿・追想』一八五頁)。

モデルに関しては、関根の次姉フサが「私と姉と女の弟子の三人がモデルで、横向きに立って、他の余分なものはなにもありません。小さな子どもが脇におりますが、その子もいませんでしたし、向きもちがっております」(村岡黒影「関根正二君を憶ふ」)と述べている。また、関根の母親の証言も記録されている。
「涙ながらに母君は語られました。
あの絵[二科展に出品すべき]の花は体がすつかり、いけなくなつてから、いつの間にか描き併へました。あの絵は御覧の通り署名することが出来ませんでした。病床には、いつも自分の画を置いて、見詰めておりました」(関根フサの証言は、酒井忠康「関根正二異聞」『青春の画像』 美術公論社 一九八二年 一九九頁)。
「死は自身にもよくわかつたのだろう、絵の整理をして大部分は焼ひ てしまうし、死んでから通知する知人の住所書きを集めて一包みにしたりした」(赤司尚道「関根正二兄の死を悼む」『信仰の悲み 関根正二遺作展覧會』『遺稿・追想』二二二頁)。
関根自身も死期を自覚したのだろう。『遺作展覧會目録』には、《死(慰められつゝ悩むの続き)》という題名のパステル画が目録に載っている。

絵の形式としては、円光や中央の人物が歌っているような口元などはルネサンス風であり、胴体が寸胴でやや縦長の人物はゴシック教会の外壁に見る彫像のようでもある。バラバラなところも含めてまぎれもなく関根正二である。もっと生きてほしかった。

それにしても、絵葉書でしか残っていない作品というのは、近代美術に限っても、案外と多いようだ。今後も注意していこう。

神田美土代町壹ノ四四 美術工芸会発行


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?