かわいそうなアンドレ! 地べたにしゃがみこんで、なんて悲しそうなの!
ラドヴァン・イヴシック(Radovan Ivšić, 1921-2009)はクロアチアの詩人・作家。本書はアンドレ・ブルトンの最期をみとるに至るまでの経緯を詳細にかつ簡潔につづった内容です。ブルトンに興味のある方には必読だと思われます。
イヴシックは晩年のブルトンを取り巻く人々のなかでも最もブルトンに信頼されていた人物だったようです。この原稿はイヴシックが晩年になって当時を思い出しながら執筆したのですが、そのまま没後まで発表されずにいたものでした。同士であり伴侶であったアニー・ル・ブランによってガリマール書店から2015年に刊行されました。
ブルトンは1966年7月にパリを離れて、毎年夏のヴァカンスに出かけていたフランス南部の中世の面影を残す美しい村サン=シル=ラポピー(Saint-Cirq-Lapopie)にある別荘へ妻のエリザとともに移り住みました。体調が非常に悪くなって自ら死期について考えるところがあったようです。
バカンスの間はブルトンの取り巻きたちがやってきていましたが、8月が終わるころには、ブルトン夫妻とイヴシックとトワイヤン(ふたりはこの時期仲良くしていたようです)しかサン=シル=ラポピーには残っていませんでした。ブルトンはイヴシックを最後の友人として親しく語り合ったりちょっとした知的なゲームをしたりして穏やかに過ごしたようです。
9月21日になって状態が悪化します。主治医は入院するように勧めました。ブルトンの意向で救急車でパリへ戻ることに決まり、27日にブルトンを載せ、エリザとイヴシックが付き添った救急車はパリへ出発しました。かなり長い旅路です。三時間後、一度休息したときにはまだ正気だったブルトンですが、再び走り出したときには朦朧としてしまいました。
こんな状態で走り続け、なんとかパリのフォンテーヌ通り42番地の自宅へ運び入れたものの、主治医の診察でラリボワジエール病院へ救急搬送され、そのまま入院ということになりました。エリザとイヴシックは自宅へ戻り、駆けつけた娘のオーヴが病院で待機しました。イヴシックはエリザの求めによりブルトンのアトリエに用意されたソファの上で例のオブジェに囲まれながら眠れぬ夜を過ごしました。
1966年9月28日早朝、ブルトンは亡くなりました。
ブルトンがパリ市街の西の端にあるバティニョル墓地に埋葬されたのは10月1日です。墓は盟友だったバンジャマン・ペレの隣にあります。平たい石の表面には《André Breton 1896-1966. Je chereche l'or du temps》と刻まれました。その文字と反対側に星型の石が据えられています。これについてイヴシックは次のように書いています。そもそもブルトンが見つけたものだったようです。
私もバティニョル詣をしましたが、この星形は目立っていました。ラドヴァン・イヴシックのアイデアだったんですね。彼の仕事ももう少し知りたいものです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?