2022/04/10

ある芸術がなぜそう素晴らしいのかということを、構造をほぐして説明することにはほとんど効果がありません。すなわち、ここでいうその素晴らしさが、構造のために説明されうる種のものではないという逆説的な公理化を行いたいと思います。
とすれば我々はその性質を理解してもらえるような言葉の手段を持たず、また、その気づきの発現が個人と現象との閉じた世界でのみ、しかもしばしばその人の精神的事由による逼迫を伴って行われうるということであって、このための手段の発明を恋焦がれて過ごす羽目になるようです。
彼らの無理解に苦しめられた経験を、現象を蔑まれる悲しさを呼び返してどうこう言いたいわけではなく、ただ…僕のほうから、彼らも持っているかもしれない彼らのその性質を侵さないよう気遣いたいと決心し直すわけでして。

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