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るるぶ新宗教 金光教

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僕みたいに無宗教なのに喜んで新宗教施設を観にいく人間なんてそんなに多くないようで、ウェブ上に新宗教の観光地的な案内はほとんどありません。信者の方々が観光地として見られるのをどう思うかはわかりませんが、先入観を除けば新宗教の施設は魅力的なところが多いのです。だったら僕が作っちゃおうという試みです。もともとはブログで始めたんですが、更新が面倒くさくなってやめていたのを、noteを始めたこの機会に再開しようかなと思っています。手始めてに以前書いたものを転載します。写真は当時コンデジで撮ったものです。

一応先に書いておくと、いくつかの教団を回ってきましたが、勧誘は一度もされたことはありません。ただし信仰は自己責任でお願いします! 僕が紹介した教団に入って嫌な目にあったから賠償しろとか、お前も幸せになりたかったら壺を買えとか、そういうのは一切受け付けません!

あとこれ、完全自腹取材(というより趣味)なので、もしこの先読みたいという奇特な方がいらっしゃったら、ぜひカンパにご協力いただければ……。最後に有料ラインをもうけますので、よろしくお願い致します。

では本編です。第1回は「金光教」。
金光教があるのは岡山県浅口市。山陽本線で岡山駅から40分、広島駅から2時間半の金光駅です。駅から徒歩10分ほどのところに本部があります。

金光駅だけに看板が金色です。金光駅は北と南二つの出口がありますが、本部に近い南口は例祭の時に団体列車で訪れる信者専用で通常は閉まっています。駅から本部までは北口を降りて陸橋を超えていくことになります。

本部に行く途中にはお菓子屋やお神酒を売る酒屋などがあります。この辺は普通の観光地でも見かける光景ですが、

時々こういったものが貼ってあるので宗教の街に来たんだと実感できます。

このアーケード街が金光教のメインストリート。古い町なのでかなり寂れてますが、土産物屋や神具店があります。一等地にはJTBの支店があって地方からくる信者さんに対応していたりします。

アーケードを抜けると正門です。門をくぐる前に金光教について。

金光教は1859年備中国浅口郡大谷村で赤沢文治(金光大神)によって立教されました。日本の新宗教の中ではかなり古く、日本三大新宗教の一つとして数えられています。信仰の対象は教祖の金光大神、そして天地金乃神です。当時この地方では陰陽道をベースにした民間信仰が盛んで、天地金乃神は陰陽の方位観でいう鬼門丑寅の方角の神様「金神」のことです。

本部所在地はかつて浅口郡金光町という日本で2か所しかない宗教名冠する市町村だったのですが、市町村合併により浅口市になりました。

基礎知識を抑えたところで本部施設に入りましょう。

修徳殿。中は奥に広く1000人収容の施設。教義の修養などに使われているそうです。1925年、金光教本部で大火災が発生し、完成から5年しか経っていなかった本部広前会堂は消失してしまいました。「広前」というのは金光教の主な宗教行為「取次」を行う施設のことを指します。言ってみれば信仰の中心地。それが焼けてしまったため、この修徳殿が仮の広前として焼失から1年少々で建てられたのです。

焼失した広前会堂の写真は金光教本庁にある展示室で見ることができます。善光寺に似た正面性の高い立派な建物だったようです。

修徳殿の鬼瓦は、中央に金色の金光教のマークが入っていて格好良いです。

金光教は神道系の宗教とよくいわれます。実際、神道系宗教団体の集まりである「教派神道連合会」に属していたり、宗教行為に神道に似た部分が多々あったりします。ただ、明治維新以降の尊皇愛国思想の強化で政府が神道以外の宗教を弾圧し始めたため、神道を装わざるを得なくなった経緯があり、神道系というよりもその頃の名残と考えた方がいいかもしれません。

1891年、岡山県から宗教団体として活動する許可を得るため、金光教は「金乃神社」を本部敷地内に建てました。この神社は本部大火災も免れた金光教最古の建築物だったはずなんですが……

2009年に撤去されたそうです(注:ここに来たのは2010年)。まだ解体した資材が残っておりました。そもそも最近はここで宗教行事は行われておらず、史跡として残すにはちょっとネガティブな記憶だったのかもしれません。

休日だったためボーイスカウトが活動していました。金光教のボーイスカウトは実は結構有名で、日本トップクラスなんだとか。ボーイスカウトが何を競ってトップになるのかは全く知りませんが。

こちらは金光教学院。

門の中です。金光教学院は金光教の教師を育成する機関で18才以上の人が入学できます。

金光教の教祖は、立教以前は冠婚葬祭や家などの建築のたび方位や吉凶を大事にしていた人だったそうです。それなのに息子は病気になるは、娘は死ぬは、両親は死ぬは、飼い牛まで死ぬはの不幸の連続に見舞われ、しまいには自分までも病気になってしまいます。そんな時に神の声を聞こえてくるようになったそうでが、その神様というのが、民間信仰信じる自分が一番避けていた丑寅の金神でした。その金神に聞かされたのは、「なんでお前らは方位や日柄を駆使してまで俺を避けてやがるんだ」と。「お前ら俺に失礼じゃないか」と。そこで金光教の教祖は、「金神を奉ればいいじゃないか」と気付くわけです。

それまで「丑寅の方角は縁起が悪いから家を建てるな」とか言ってたわけですが、そこまでして避けられていたら丑寅の金神さまも怒ります。逆に奉っていれば金神さまも嫌なことはしないでくれる。忌むべきものだからこそ奉る、このコペルニクス的転回が金光教の一番興味深いところ。この思想は教義全体にも及んでいて、分かりやすいところでいうと、信者はお参りの時に四拍手します。一般に「四」は「し」と読み「死」と書き換えられるので嫌がられますが、それについて金光教HPではこんな説明がなされています。

金光教では、「四」の数字を忌む一般の風習を戒め、「四」に「よかれ」「しあわせ」の意味を込めて、拍手を4回と定めています。

こういった価値観の転倒が金光教には多くみられます。当時は今に比べて考えられないくらい人々は宗教的価値観に縛れていました。この価値観の変化で、人々は今まで縛れていたものからの解放されたように感じたわけです。「近代」は宗教的価値観の否定、なんてことが言われますが、そういう意味でとても近代的な宗教だったと言えるかもしれません。立教が明治維新以前の1859年なので、金光教がまたたくまに広まるのも自然なことでした。

そういう影響があるのかわかりませんが、金光教の施設にはモダンな建物も多く見られます。

こちらは金光教教学研究所。

これが「金光教徒社」という教団の出版社です。

ちなみに福岡県にある金光教福岡高宮教会は、もっとも金光教らしい建築物と言えるかもしれません。せっかくなので教会のHPから転載しますが、

もはやポストモダン。その他の写真もHPで見ることができます。http://fukuokatakamiya.web.fc2.com/page4.html

前置きが長くなりましたが、金光教の中心施設、「本部広前斎場」と「広前会堂」です。

本部広前斎場。1959年に建てられたこの施設は見た目も堅ろうな鉄筋コンクリート造。高さ28m、奥行き110m、間口61m、1500人収容の巨大建築物です。教団の主な行事はここで行われています。

こちらが本部広前会堂。1973年完成。金光教の宗教活動の中心施設です。

横側からはこんな感じ。この二つの建物は伊藤忠太の弟子で金光町出身の田辺泰が設計したそうです。

神道に対してネガティブイメージがある割には、神社っぽい形をしているように思われるかもしれません。実際、設計時この形状に否定的な見方もあったそうです。ただそれまで金光教は建築物に対する独自の価値観も持っていませんでした。なのでこれは神社風ではなく、日本の古代からある建築様式をコンクリートで模したもの、ということだそうです。この辺りの経緯は、五十嵐太郎さんの『新宗教と巨大建築』(ちくま学芸文庫)に詳しいです。


さて、この会堂はもちろん金光教の神殿、最大の聖地なわけですが、世の聖地といわれるところは大概写真撮影禁止なわけです。いくつかの新宗教の聖地を回ってきましたが、神殿内部の撮影はほとんど許可されたことがありません。そんな中、金光教だけは好きなだけ撮っていいよと言ってくれたのです! なにこの太っ腹! さすが縁起とかにこだわらない金光教! そんなわけで会堂内部はこんな感じになってます!

撮らせてくれたのは施設だけじゃありません。この写真の真ん中にいるのは、現在の教主金光平輝氏。信者からは金光様と呼ばれています。ちなみに教団のトップである教主は、5年ごとの選挙によって選出されています。まあ当然というか、現在まで教祖直系の金光家一族の方が毎回圧倒的多数の得票で選ばれているようですが、宗教に民主主義を導入するところも金光教のおもしろいところ。ただ、天理教を始め、教主選挙を行う教団はわりと多いようではあります。

儀式が始まると扉が閉じられました。これは御祈念という儀式で、なにをするでなく頭を伏せてとにかく祈ります。教主は早朝から毎日ここで御祈念や取次などの儀式をするそうです。

会堂の地下はこんな感じ。上では教主様がお祈りしているというのに、地下では女子中学生が恋バナに花を咲かせていました。なにこのほのぼの感。こんなところも金光教らしいといえるかもしれませんね。

教団施設は以上ですが、新宗教が門前町を作った例はあまり多くないので周辺も面白いです。

そこら辺に「金」の付く名字の家がたくさんあります。

周辺の家の瓦の多くに金光教のマークが入ってたりします。

おまけですが、近代的な宗教である金光教はメディア戦略にも積極的です。

1953年から布教の為のラジオ番組を放送しています。かつては永井一郎など豪華キャストが出演していたこの番組は、「金光教の時間」という名で現在も放送されています。僕は中学時代から深夜ラジオをよく聴いていて、眠れない日の明け方に流れてきたこの番組で金光教の存在を知りました。当時オウム事件直後だったんでなにか不穏なものを感じて正直怖かったですよ……。

それと金光教のHPの充実度は多分新宗教一なんじゃないかと思います。

http://web-konkokyo.info/

写真や映像が盛りだくさんです。つかこんだけ載せてるなら会堂内部の写真断る理由はないですね……。

というわけで金光教編はここまで。最後になりますが、この日記に勧誘とかの意図はありませんよ! 繰り返しになりますが信仰は自己責任でお願いします!

もし続きを読みたいとか、この記事なら100円払ってやってもいいと思っていただけれたら、取材という名の遊ぶ金欲しさにご協力お願いいたします。

お金よりも大切なものがあるとは思いますが、お金の大切さがなくなるわけではありません。