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ホテルで会ってホテルで別れた あのひとみたいな33歳になった

 ちょっと前にFacebookのアカウントを消した。完全に消したわけではなく、アカウント停止というやつだっただろうか。いずれにせよもう開くつもりもないし、個人データは保存したので、特にもう未練はないように思う(停止したつもりができていなかった、みたいなことだったらダサいが、それも含めて、もういい)。

 それでふと思いだしたことがあった。6年くらい前になると思うのだが、いまの僕と同じくらいの年齢の女性とよく連絡をとったり、会ったりしていたことがあった。そのひとも当時、この前Facebookを消した、みたいなことを言っていた。
 理由を聞くと、かつての同級生がまともに人生をやっているのがムカつく、自分から書くことももうないし、みたいなことだった気がする。別に消さなくても見なかったらいいだけじゃん、アプリ消すくらいでよくない? みたいな反応をした気がする。27歳の僕が「そこまでしなくてよくない?」と思っていたことを、33歳になった僕は同じようにやった。

 僕がどうして消したのか、あのひとほどはっきりした理由はない。小学校の同級生がアップする子どもの写真はかわいいし、大学つながりの人たちが転職したり論文を出したりしている様子(ちょっと前は結婚とかが多かったけど)も「へー」と思ってなんとなく見ていた。
 アイドルのライブに行ったら記録を兼ねてチェックインだけするようにしていて、旅行したら写真をアップし、年末年始と誕生日付近にはどうでもいい文章を投稿し、7いいねくらいが押される程度には普通に活用していた。フレンドは350人くらいいたはずだけど、僕はそのなかでも割としぶとく続けていたほうだと思う。
 ムカつくような知り合いや、近況を知るとしんどくなるかつて好きだった人なんかはとっくにブロックしていたし、仕事つながりでフレンドになってしまった人はフォローを外して投稿も見せない設定にしていた。そういう意味でも、うまく使っていたと思う。

 でも結局、投稿するにしても同じようなことばかりになってしまって、だいぶ虚しくなってしまった。「今年もライフステージの階段の踊り場でぐるぐる回っていたら終わりました」「これを読んでいる方とは会うことはないでしょうから、来年もよろしくお願いしません」みたいな、人生とFacebookに対する悪態をつくのにも飽きた。あえていうなら、そんな感じだと思う。

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 33歳だったあのひとは、東京から高速バスで片道4時間くらい(かつ、そうやって行くのがいちばん楽なところ)に住んでいた。思い出したついでにバスの予約メールを掘り返してみたら、月に一度くらいのペースで7-8回ほど行っていた。しかもだいたい日帰り。変な生活だったと思う。
 そんな相手と知り合うやり方はインターネットしかない。当時のTwitterでなぜかずっとフォロー関係にあったよくわからないアカウントのうちのひとつだった。僕は「誘われたらどこへでも行くので誘ってください」みたいなスタンスでTwitterをやっており、「まさか本当に来るとは思わなかった」と言われるような場所の相手とばかり会っていた。
 そのひとともそんな風に知り合って、その後出張や旅行にくっつけて2回くらいごはんを食べた。同じ相手と何度も会うのは珍しかった。

 有り体にいうと、ちょっとかわいそうな暮らしをしているように見えていた。ある程度普通に働ける範疇において心があまり健康でなく、話を聞く限り金銭感覚はしっかりしているようだったのに、突然占いに重課金したり、謎のアクセサリーを買ったりしていた。健康には気を付けているようだったが、たまに病的に身体を鍛えていたこともあった。
 日本の田舎に典型的にまだ残る閉鎖的な感じにあてられて、「行き遅れで実家にずっといる変な女」のような陰口をいわれ、親との関係もうまくいかず、そんな愚痴もだいぶ聞いた気がする。そんな内容のLINE(たまにDMのこともある)が四六時中来て止まらない(なぜか僕はよくそういう女性に引っかかっていたが、それにしたって程度が甚だしかった)。
 若い頃からリストカットの癖があり、腕だと目立ってしまうからと、いつの間にかお尻をボロボロに切るようになっていった。本当である。だって写真を見たから。

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 血まみれとはいえお尻の写真が送られてくるくらいなので(いうほど「なので」か?)、何回かそういう関係をもったこともあった。2-3回会って、うーんもう会っても話すこともないし、お酒も飲まないひとだしつまんないな、と正直思っていたところ、何の脈絡もなく「きしょうさんえっちしよ」と連絡がきた。数日後の週末にはもう朝からバスに乗っていたと思う。
 終点のJRの駅ではなく、少し前の停留所でバスを降り、広い平面駐車場のある商業施設のなかのTSUTAYAで待ち合わせる。ホテルに直行して、フリータイムの時間帯が終わるくらいまでずっといて、そこから駅まで送ってもらってバスに乗ったら、23時くらいに家に着く。それがルーティーンであった。

 でも別に毎度猿みたいにやっていたわけではなく、とりあえずホテルには入るものの行為には及ばないことのほうが、回数としては多かった。
 どういう風の吹き回しだったか、資格試験か何かの勉強に何時間も付き合いながら、こっちもこっちで合間合間に仕事をしていたこともあった。「職場で不倫していることが誰かにバレてポストに怪文書が入れられていた」みたいな話を何時間も聞かされたこともあった。そういうことのほうが印象深く記憶に残っている(精子と一緒に記憶も出ていってしまったか)。

 マッチョ好きを公言していたそのひとは、不倫でよければいつでも体格のいい男に抱かれることもできる様子だったので、色白くて、好きだった女の子に笑われるくらい肩幅が狭く、酒浸りで20代にして腹の出ている僕とセックスがしたいわけじゃなかったんだと思う。
 少し聞いた感じだと、大学はぜんぜん違う地方の、たぶんそこそこいいところに通っていたようだった。ここからはほぼ想像だが、親方面からの圧力で地元に戻って働くことにして、ずっと閉塞感があったのだろう。
 笑っちゃうくらいなで肩だけど、マンデルフレミングモデルくらいなら一応わかる。4時間かけてたまに話しに来てほしいな、という思いが、血まみれの尻の写真を送らせ、「えっちしよ」と言わせたのだと、いまは思う。
 人間は哀れだなと思う。まあ、いちばん哀れで情けないのは、前かがみになって往復8時間もバスに乗っている僕だったのは間違いないのだけど。

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 僕は当時慶應大の通信制課程に籍を置いていて、そういう話をしたら学生時代への憧憬を焚きつけてしまったらしく、そのひとも東京にあるどこかの大学の通信制課程に入学した。最初のスクーリングのときに自宅に泊めて、たぶんそのときが会った最後だったと思う。
 別に我々のあいだで何かが起きたわけではなく、そのひとがだんだん本格的に精神的におかしくなっていき、総合職としてずっと働いていたはずの仕事を飛び、アカウントが何度も生まれては消えて謎の連絡がほうぼうから来るような感じに仕上がり、さすがに相手をしきれなくなったんだった気がする。
 僕も僕で、週5日は上司からのサイコパスパンチを日夜受け続け、残る2日は家に引きこもって働いていたら、ちゃんとうつ病になった。そのあたりで一時、あらゆるSNSから離れ、いろいろな人との連絡を絶ち、はっきりとした記憶も記録もない時期もあったので、その時期に完全に、そのひとのことは見失った。

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 ひょんなことからそうしたことを思い出して、なんとなく考えたのは、たぶん僕は「えっちしよ」という代わりに、勝手に飲み友達と呼んでいた女性たちを、「好きな日本酒の店があるんだけど行かない?」みたいに誘っていたんだな、ということだ。
 ちょっと語弊を生みそうだが、セックスをしたくて女性と飲んでいたつもりはないし、実際にそんなこともなかった(いや、1回くらいはあったかもしれないけど、狙って起こしたのではなかった)。誰かとワーッと話して時間を埋めたい日が頻繁にあって、それを高確率かつ穏当に遂げるには、それがいちばん適したやり方だったということだ(僕が「えっちしよ」などと言い出したらその時点でもう二度と返信はこないし、最悪捕まることは言うまでもない)。

 あるいはあのひとも、性欲をほとばしらせて僕に連絡をしてきたのではなく、たまたま四六時中連絡がとれて、だいたいちゃんと返信がくる僕に、そんな気持ちで声をかけてきたということだろう。
 気がつけばだいたい同じホテルに入るようになっていたあの頃。食事も含めてそこですべて済ませていた。一度ファミレスで食事をしたことがあったけど、知り合いがいないかとキョロキョロして落ち着かない様子で、そこまで“世間の目”を気にしないといけないのか、と思った覚えもある。
 部屋に直結している駐車場に軽自動車を止め、小さな立看板でナンバーを隠せば、とりあえず数時間はそうした目から逃れられる、ということだったのかもしれない。

 駐車場から出るとき、かなり高齢と思しき男女が乗った車とすれ違ったことがあった。「生涯現役にもほどがあるだろ」と軽口を叩いてみたら、いつもだいたい口が悪かったはずのそのひとに、「ゆっくりできるし、お風呂も広いし、ごはんも出してくれるしで、そんな風じゃなくても使う人が多いみたいだよ。バリアフリーだったでしょ」とたしなめるように言われた。
 日常から逃れるために数千円で密室に駆け込む人がいて、そこまでしなくてもいいでしょ、と口を尖らせながらも、毎晩前後不覚になるくらいお酒を飲んでいた僕がいた。

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 ひるがえって、33歳になった僕はFacebookのアカウントを消した。Twitterのアカウントを消したのは数ヶ月前、携帯のアドレス帳を全部消し、LINEの連絡先もかなり大胆に整理したのは、去年か一昨年くらいだっただろうか。「えっちしよ」と送る先も送る手段ももうない。
 そうか、FacebookがないとMessengerも使えないのか、と後になって気づいたが、それに気づかないくらいにはMessengerも長らく使っていなかったということに、もうちょっと後になってからまた気づいた。

 あのひとがだんだんとおかしくなっていった33歳。この先に何が待ち受けているのか、もう誰も教えてくれない。別に人生もうどうなってもいい、という気持ちもあるけど、40歳くらいになっているあのひとが、今日までどうにか無事に生きていてくれるといいな、とも思う。

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※記事のタイトルに多少の虚偽がある(書いてある通り、ホテルからバス停の間は行き帰りともに送ってもらっていたので)んですけど、「ホテルで会ってホテルで別れる」は昔聴いていたラジオ「壇蜜の耳蜜」で使われていた好きな言い回しで、そういう定型句としてお目こぼしください。

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