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豊島紀 ⑩朝日杯肉弾ステークス

正月二日に一宮まで行ったっていうのに、十四日の朝、また私は名古屋にいた。朝5時半発の高速バスで新神戸までいって新幹線で名古屋、中央線で金山、地下鉄名港線で日比野駅下車。名古屋に一年住んでたことがあるが、降りたことのない駅である。

朝日杯将棋オープン戦名古屋対局の一日目。豊島が出るから行った。そこに山があるから登る。そこで豊島を見せてくれるというなら見にいく。でもチケットは抽選で座席は勝手に指定されるアイドルコンサート形式であり、対局場のSSからAまで三種と、大盤解説会場と、四つの選択肢がある。どれぐらいの競争率かよくわからないまま「席は1ミリでも前へ」の精神で対局場SS席を申し込んだら、当たった。だんなのアドレスからも申し込んでみたがそっちははずれた。

アイドルのコンサートの時は、発券すると自分の席番がわかってしまい、カス席だった場合にがっくりくるのでギリギリまで発券しないというよくわからない行動をしていたが、こっちはさすがに二日ぐらい前に発券してみたところ1列目だった。ああ……最前か。とハードボイルドにつぶやいたが頭の中では阿波踊り踊っていたようだ。ヤットサー、ヤットヤットー。

しかし、前日に出たこのツイートに添付された座席表を見ると、

私の席番がないんですが……。
つまり私の席は1列目の9番〜13番のどれかだったんですが、ない。どうすんのこれ。当日行って、この灰色になってるサイドの席とかに回されたらさすがに断固抗議するぞ! とコブシを握りしめていたところ、

単に席番のつけ間違いだったらしいです。もしかして「お席がないので舞台上で申し訳ありませんがお席つくりました。先生方の息のかかる席でご覧ください」なんてことになったらどうしよう恥ずかしいけど舞台の上から見るチャンスなどないし断るわけにはいかない……とか悩んだりしていた私はバカ者である。

で、当日会場にいって、指定席だけど気がはやっていつも通り早めについてしまい、上手サイドブロックの最前列に座ってぼけーっと舞台を見ていた。対局用のテーブルとイスが二脚。NHK杯の対局用の椅子はハーマンミラーの良さげな椅子だがここの椅子は「ホテルの宴会場の壁際に置いてるイス」程度のやつであった。まず午前十時からは、舞台上にこれが上下ツーセット用意されて、二局同時対局。「久保利明九段ー豊島将之九段」「山崎隆之八段ー菅井竜也八段」。上手に来てくれー、もし下手に行かれたら最前列ったって上手ブロックからは相当遠い。もし午前中の本戦一回戦で負けたら、遠いまま去られてしまう、おまけに負けたら午後の対局の大盤解説に出るというではないか。推しの負けを見越して最初から大盤解説会場のチケットを取ってる人とかもいるんだろうか……などとぐるぐる考えていたらふいに、

ひょこひょこ…

と、舞台に豊島が出てきた。他の対局者もすたすた出てくる。荷物持って。豊島さんは例の、黒いナイロン製(たぶん)ビジネスバッグ。オシャレさのカケラもない、ドテッとしたデカめの黒いやつを持ってくるのがしびれるほどイカスのである。しかしそれにしても、ファンファーレのひとつも鳴らして、「では対局者の入場です!」とかやらんものなのか。そうじゃなくていきなりトップ棋士たちがひょこひょこスタスタと、いつもと違う衆人環視の対局に、多少シックリこない感じで入ってくるというところに、将棋というものの「日常に密着した非日常」を私は強烈に感じたので、これでいいんですが。

そして久保九段ー豊島九段組は上手のテーブルについた。近い。ありがとうございます。段位が上だから上手で当然でしたね。久保九段の背中と豊島九段の正面がよく見える。見上げる位置なので盤面は見えない、が駒を置く音から息の音まで聞こえる。

ぱち、ぱち、ぱち、と駒を置く光の子とイケおじ

ところでこの対局場の観覧は、純粋に対局してるのを「見る」だけです。ステージの左右にモニター(それほどでかくない)が設置されて、それぞれの対局の盤面だけが出る。そして今年から「客席でスマホ、タブレット使用禁止」だそうで(去年まではオッケーだったのかよと私は驚いた)、解説も評価値も見られません。ただ対局を見るのみ。

思えば昔はこんなんだった。NHKのBSで名人戦の中継やってた頃、評価値なんてものはなく、たまに解説が入る時はいいがそうじゃない時の、ただ向き合って長考してる場面とか盤面がえんえんと流れるのなんて、現代美術のインスタレーションかというような絵ヅラだった。よくあんなのを見てたよな、というかあれを見て局面がわかる人しか見てなかった。しかし今は解説が山ほどつき、解説がなくても評価値だの次の最善手だのが出る。教科書ガイド見ながら答え合わせしてるようなもんだ。それじゃ勉強にならんじゃろ! といったって、今の将棋観戦てのは「そーゆーもん」になっちゃっている。そのおかげで「将棋を観る客」が増えてるんだから。

それが「昭和のBS名人戦中継(無解説タイム)」と同じような観戦環境に放り込まれてどうなるのかなーと思ったら、

ちゃんと見入ってしまった、なんなら今まで見たあらゆる対局の中でいちばん面白かった。

いやカッコつけて言ってるんじゃなくて。
まず棋士が入ってきてこまごま用意して飲み物ついだり飲んだり駒並べてる時は「撮可タ〜イム!」なのでカシャカシャカシャシャシャシャとシャッター音が秋の野の虫の音のように部屋に響きわたりますが、さて対局が始まった部屋の静かさときたらあなた、新型コロナウイルスの最初の波がおさまって再開された大阪松竹座の客席が「しーーーん」となってかすかな身じろぎの音しか聞こえなかった時と同じぐらい「しーーーん」としている。会話はご遠慮くださいと言われているとはいえあれだけの人数がいる会場があれほど静かなのってけっこう不穏なものを感じる(それも将棋という舞台にはふさわしい)が、たまにそこここでお腹が鳴る音がするので救われる。ぐーぐーきゅるきゅる。朝10時開始の対局だから、客も家を出るのが早くて朝食食ってないって人も多かったのだろう。

一回戦は、それぞれ豊島九段と菅井八段が勝ち。午後の準々決勝は豊島ー菅井の対決で、豊島が勝った。これで二月に有楽町で行われる本選準決勝に進出決定。

「有楽町でがんばります」

目の前で豊島が公式戦を二勝したのを見て心の底からホッとした。キモオタ特有の考え方として、「自分が応援しはじめてから勝てなくなった」とかいうやつがあり、私もキモオタなので「豊島沼に堕ちてからこっち、どうも豊島は勝ててないんじゃないか……私のせいなんじゃ」とか思うわけですよ、なんなんだよ私のせいって!

こちら、当日の大盤解説場の動画を見ていただけましたら午前中二局、午後一局の内容がわかります7時間近くありますが。ふつうの人はこんなもん見てられないと思う。でも将棋を好きになると、色と欲との二人連れ状態でこんなものを7時間見られるようになるんですね。私はもうこれを三回ぐらい見てます。

一回戦、二卓体制でやっていたが、久保ー豊島戦のほうで久保さんが投了して先に終わった。それで久保豊島の両者が大盤解説会場に移動するために静かに退場する。そうしたら客席もドッと立ち上がって外に出ていく。それを見て私は何か懐かしいような思いをしてた。「うわーHKT劇場みたい〜」

HKT劇場で、公演がいったん終わってアンコールがかかるまでの暗転状態の時、オタの人たちはドッと外に出ていったものである。みんなおしっこがまんしていたのだ。おじさんのファンが多くて前立腺肥大で頻尿なので(想像)、公演中は推しが目の前で歌ったり踊ったりしてるから席を離れるわけにはいかないので、アンコール前に雪崩をうってトイレに走る。

……と、その頃を思い出して懐かしさに浸っていたら、そうじゃなかったということをあとで知る。大盤解説会場のチケットも取ってて、それを見に移動していた人がほとんどなのであった。おい。トイレに行ったっきり帰ってこないと思って心配してたオレがバカでした。

で、一回戦の久保戦は、わりと近くから、それもナナメ下からあおるという位置関係で豊島が将棋を指すのを見るというのが新鮮であった。そこにナマの豊島がいるのであるから豊島を見ればいいのだけれど、やっぱり盤面モニターも見る、というか盤面モニターを半分ぐらい見ていたかもしれない。そこに豊島がいるのに。

ぱち、ぱち、ぱちと駒を置くゆび

最初に見た時同様、相変わらず豊島は体内から光っていたが、私もナマ豊島をこの一ヶ月で四回も見ていてさすがに「ジカに見ると目がつぶれる」「目をそらしてしまう……!」などということはなくなり(ある種の堕落だと思う。反省している)、そういう意味での「目の前の対局が見られない」というわけではなかった。

そりゃ見ちゃいますけどね。ところで髪は段カットですか?

では何かというと、解説評価値などの教科書ガイドも何もない状態で盤面を見ていると、「次の一手はどこに行くのか」ってのが気になって(というか興味がそれだけになって)盤面見つめて考えこんでしまうのである。教科書ガイドつき観戦の時はあきらかに「将棋よりも将棋をさす人」のほうを見てるし、気が散って別のことすらやったりしていた。もしかすると私は「英語を習うより、黙って英語圏に放り込まれるほうが英語ペラペラになる」というタイプなのでは!……とか思ったりしかかったけどたぶんそんな簡単な話じゃないだろうな。

どっちが勝勢なのかなんてのはわからないが、「いま斬りつけている」「押してる」「しのいでる」「攻めに転じた」というのは、見ていてわかる(ような気がする。といちおう言っておく)。ことに持ち時間40分だからすぐ一分将棋になり、バチバチやりだすし表情もわかりやすい。豊島はあんまり表情を動かさない人であるが、

「ふ」

って息の音がしたんだ。「ふー」でも「ふっ」でもない「ふ」。金魚のごちそう。それは麩。それでそっちを見たら豊島が盤面を見たまま「コクコク」とかすかに頷いて、そしてまた「ふ」と息をひとつ、表情まったく変わらないまま。それを見たとき「あ、これは読み切ったな」と思った。その表情がたいへんに印象深かったのでここに記録しておく。とはいえそれが何手目のどの局面かを忘れてるうえに、はたしてほんとに読み切ったのかどうかもわからないのがダメダメである。将棋語の勉強(単語をおぼえる、文法を覚える、会話をする)をちゃんとしないとだめですね。

そして昼休みが終わり(あ、山崎菅井戦のことを何も書いてない……)、準々決勝の豊島将之九段ー菅井竜也八段戦を、同じように教科書ガイド無しのクリーンルームで間近に見た。私の席からは豊島の背中、菅井さんの正面が見える。そのせいもあるけど、菅井竜也の、アイドル性だけではない魅力みたいなものをじゅうぶんに浴びさせてもらった。

この日、昼も靴脱いでいたのは4人のうち菅井さんだけであり、やはり菅井さんの気合いは「脱ぐ」に可視化されるのだと確信する。気合いというだけではなく、椅子の上に正座というところに何か「おばあちゃん性」も感じるし、対局に臨むに際してのあの殺気、ムキムキの筋肉に見る「刺客性」、しかし大盤解説場での感想戦で見せる「ゴロンと寝転がってハラを見せる猫」のような可愛いさ。柳田国男が「妹の力」というのを提唱しましたが、私は菅井さんが見せる可愛さを「弟(おと)の力」と名づけたい(テキトー)。

で、私のいる席から、菅井さんの椅子正座が、

幽霊じゃないぞ!

↑こんなふうに見えて、なんかいちいち「菅井さん足がない!」とギョッとしました。たまに足が一本生えたりしてた。

菅井さんの魅力についてはここまでとして、豊島菅井の対局を見て思ったのは、「こういう、対照的な(人物的にも棋風的にも)相手との対局は、勝ち負けを別にして面白いもんだな」ということで、久保さんだって豊島とはぜんぜんタイプちがう(そして久保さんも菅井さんも振り飛車の人であるという共通点がある)けど、対久保戦よりもさらに対菅井戦のほうがずっと肉弾戦であった。私は豊島の将棋はああ見えて(どう見える?)肉体派なところがあると思っている。しかしいつもはそういうものが見えないような戦い方をしているのに、菅井さんは豊島の隠された肉体性を露呈させるような将棋を指してくるというか。これもまたシロートのテキトーな感想ですが。この準々決勝の対局でも、まるでスポーツの格闘技を見ているような、「菅井攻め込みタイム」「豊島攻め込みタイム」「菅井攻め込みタイム」「豊島攻め込みタイム」ときっちり交互にやりあっているのが見えて面白いったらなかった。重ねて言いますが私はまだ「先を読む」力はない。今そこでやってる殴り合いを見て、次はどっちからどんな殴り方をするのか、を盤面見ながら想像するだけである。で、そういう見方をしていると対菅井戦がすごい面白かったのです。……まあそれも勝ったから言えるようなものだ。明日(一月十八日)はA級順位戦、対藤井聡太である。

きょうも明日もあさってもがんばるぜ


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