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【私たちの常識って、「当たり前」?】


【自己紹介】

初めまして。この記事に興味を持ってくださりありがとうございます。
中部大学の早﨑と申します。
私たちダイキアクシスの内定者は11月後半の約10日間、インドネシアのバリ島で研修を行いました。その研修では、様々な施設の見学や現地の人へのインタビューを通して、海外の国が抱える問題を学びました。そして、その集大成としてチーム活動とプレゼンテーションを行いました。

【私たちの常識って、「当たり前」?】

突然ですが、皆さんにはどんな当たり前がありますか?

世の中には様々な当たり前があると思います。でもそれって地域によって違ったりしますよね。
例えばエスカレーターに立って乗る人の場所、全国的には左側に立つそうですが、大阪は右側に立つことが一般的とされています。

こんな風に常識は地域によって、その形を大きく変えます。国が違えばそのあたりまえは私達の想像できないほどの「非常識」になるでしょう。

そんな、私にとっての非常識に約10日間触れて、特に印象に残り自分を変化させたことを紹介したいと思います‼️

【ゴミの分別は当たり前?】


ゴミを捨てる時、燃えるゴミと燃えないゴミに分けることってあたりまえですよね。

けどそれって私達にとっての常識なだけで、世界中ではどうなんでしょう?

私はチーム活動の中でゴミに終点を当て、様々な調査を行いました。その結果、あたりまえではなかったことが複数見つかりました。

例えばゴミの分別、日本だといろんな種類に分類され捨てる場所や回収する曜日も分けられていますよね。
しかし…
バリ島では全部まとめて回収です。

ちなみに何の分別もせずに処理場送りです。

処理場も積み上げただけのゴミ山です。


臭いも結構キツイです。過去には火災も…

でも処理場で排水処理も兼任してるみたいです!


小学校のプールに見えました

また、これは日本でも共通するかもしれませんが…

とあるビーチのゴミ箱です。

右の石でできた入れ物のような器は捨てられたもののようです


フタが閉まっているだけで、ほぼ空でした 

こんな感じに、「有名な観光地だから施設などの基準も高いだろう」という先入観は崩れ落ちていきました。

しかし、バリ島の住民にとってはそれが当たり前なのです。分別なんてものは意識の外であり、していないことが悪いことだなんて思ってもいません。「悪いこと」認識していること自体、私達にとって当たり前なだけなのかもしれません。

海外の環境問題についてニュースでみるとき、「こうすればいいのに」と日本の水準で考えたり、国の規模を考慮して考えても、実際の問題は考慮したレベルを軽く超えているのです。

インドネシア政府や処理施設の管理者はゴミ問題を重く見て、分別を促しているようですが、国民の当たり前が揺らがない限り、普及することは難しいでしょう。

この事実を踏まえ、もし私達が考え方を変えてもらうために何かするとしたら、まず求められるのは素晴らしい技術や設備ではなく、その国の「当たり前」を理解し受け入れられる力が前提として必要なのではないでしょうか。

【言語の壁の高さは気持ち次第?】


記事を読んでくださっている皆さんは、外国人と話すときとても緊張する事ってありませんか?

私も外国の方と話すとき、会話をしているはずなのに相手は真顔だったり、反応が全くなかったりして「機嫌を悪くしてしまったかな…」とハラハラする経験が何度もありました。
でも、それって私たちの考えすぎなのかもしれません!
1週間以上の研修期間中は、バリ島の人達と話が何度もあり、時には日本語の通訳が一切ない中会話をしなくてはならないこともありました。
そんな環境だからこそ、必死に言葉を伝えようとするうちに、私がしていた勘違いに気付くことができました‼️
まず、第一に会話の最中真顔であることが多いのことは、当たり前だということです。

「いや、そんなの日本人だってそうじゃないか」
と思うかもしれません。でもそれは、話した内容が伝わっているか自信がないから顔色を伺ってしまい、聞き手が理解しようと頭を悩ませてくれている表情を、
「悪い気にさせてしまった…」
と勘違いしてしまっているだけだと思います。

私たちも外国人の観光客などに何か聞かれたときには、頭を悩ませながらも答えてあげようとしますよね。それは彼らも同じなんです。

そして2つ目、外国人の多くはちぐはぐな英語を話されても、鬱陶しいなどとは思わず理解してくれようとしてくれます。

例えば活動の1つで、インドネシアの食文化についてインタビューする時間がありました。最初私は、正確に言いたいことを伝えようと翻訳アプリなどを使っていましたが、後に「会話中に端末をチラチラ見たりしているのは失礼だな」と当たり前のことに気付きました。


それは、インタビュー中ネットワークの接続が悪くなったとき、分かる限りの単語やジェスチャーを交えて話したところ、先ほどまでと比べて明らかに表情豊かに私達が知りたいことを考えてくれたことがありました。
その理由をあとから考えてみたところ、インドネシアの多くの人は、英語をアメリカ人やイギリス人ほど得意とはしていなかったこと、そして互いの表情を見せ合うことが重要だと考えました。
翻訳で出された完璧な訳には、翻訳前の意味を可能な限り再現しようと難しい単語が使われたりします。それを英語が母国語でない人に話しても、時間をかけた結果「何を言っているんだ?」と思われるだけです。
また、会話中の表情について、話の中で
「何が分かっていて、何が分かっていないのか」
「それを聞いてどのように感じたのか」
これらのことは表情から読み取れることが多いと思います。主言語が違う人同士ならその重要度は格段に上がり、表情から次に何を話すか考えているのでしょう。

翻訳は最後の手段くらいに考えて、面と向い合うことを意識すると、相手も面白いくらい反応してくれて、話すことに不安も感じなくなると思います‼️

言語の壁は、私達の日本の常識や偏見、不安な気持ちがそのまま壁の高さになります。これらのことを少し意識するだけで会話することが楽しくなり、言語の壁は簡単に跨げてしまうくらいに小さくなるのかもしれません。

【グローバル化する社会で、「常識・当たり前」に囚われないために】


私が海外研修で持ち帰ることができた一番のものは、先入観や偏見に囚われず思考するということです。
「フラットな目線で物事を見て、その本質を見極める」
これが、初対面の人や遠い県の人、海外の人が持つそれぞれの常識を理解するためには必要で、良い関係を築くファーストステップだと思います。

「広い視野を持って、互いを理解し合えるコミュニケーションができる人間になり、グローバルな活躍できたらいいな…」なんて帰りの飛行機では考えていました。

皆さんも普段の生活とは違う、非日常を経験すると自分にとっての「当たり前」を更新していくことができると思います。新しい挑戦をしてみたり、趣味を探して試してみたり、どんな些細なことでも日々生活を変化させてみましょう❗
きっと、自分の「当たり前」に変化を与え、視野の幅は広がっていきますよ。
ここまで読んでくださりありがとうございました❗
私の持ち帰ってきたものを共有することで、ダイキアクシスの研修に少しでも興味を持ってくれたら嬉しいなと思います🎵

最後に、海外の生野菜には気を付けてください。お腹の弱い人は特に…
ホテルやレストランだからといって、日本とは「当たり前」が違うことに注意しましょう…

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