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noteのコンセプトへの感動を徒然なるままに。

社会人3年目を間もなく迎える若輩者の私ではあるが、社会の中で行くことの息苦しさを感じることがよくある。
noteを書き始める前に、noteについて知ろうと思い、調べて感動したことについて話そうと思う。

単に私だけが感じていることだろうか。
個人多くの人が同様のことを感じている気がする。
まあ感じていようがいまいがどっちでも良いのだけれど。
ここで言う息苦しさというのは、とても抽象的だが、なんとなく生きにくい感覚、つまり、自分が自分でいることができない感覚のこと。

noteについての詳しいところは、下記URLを見てほしい。
ほんとめちゃくちゃ良くまとまってる(笑)
https://webtan.impress.co.jp/e/2020/02/06/34934


【ランキングがない】これってすごいことだと思う。

自由に自分を表現するには、ランキングが大きな阻害要因となる。
なぜならランキングが高くなる傾向のあるネタについて人は表現する。
すると起きることは、出てくるネタに偏りが出るということである。
そして多様性が奪われていくということである。

全く別の観点であるが、
私はランキングには別の要素もあるなと感じている。
大学の中で教育学を専攻していた私は、頭でっかちなわけだが、
なぜなら教育において、競争というものは、人の自己肯定感を下げる一つの要因であるということを私の中で結論付けたことがある。
競争主義の社会の中で、人には優劣が付けられる。
本来、人間としての価値の優劣ではないはずであるのに、成績が良い人は価値があり、良くない人は価値が低いという評価にすり替わりが起きることが往々にしてある。
自分自身が有能ではないということが証明された気持ちになる。それに対して大人たちも成績の良い人たちを誉め、低い人たちをさらに努力しろと煽る。
「何を甘ったれたことを」と私も思っていたタイプだからわかるけれども、本当に競争主義、勝利至上主義の社会はそういう社会だなあと思う。

成績の高い人達は、のびのびと生きる。しかし、いつ順位が下がるかに心の底でおびえている。そして成績の低い人は、自信がなく、表現すること自体がおっくうとなる。
本来の人間の持つ力を制限するのはランキングなのではないかと心の隅で私は思っている。

「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」
noteのミッションであるが、とにかくかっこいい。
創作には、個性があってよい。自由があってよい。喜びがあってよい。
表現を自由にできる世界、そこに息苦しさは存在しないのではないか。
ビジネスの世界であれば、順位が存在してしまうのが悲しい現実であるが、趣味の世界、私の世界、そこに順位が存在しないことが生み出す価値を私はnoteに感じる。


とか書いている私が、こういうの初めてで心臓バクバク(笑)

ありがとうnote。


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