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映画感想【哀愁しんでれら】

2月5日公開「哀愁しんでれら」を観ました。こちらでは、観た感想、また、それに伴う超個人的で身勝手の極み(全王様もおったまげ)な考察(解釈)を書いていきたいとおもいます。尚、ネタバレを含みますのでお気を付けくださいませ。まず観終わった直後の率直な感想は「なんだこれ、、すごいの観たな、、あれ?疲れてる。」でした。というのも感情移入する人も、さっきはそう受け取ったはずの価値観もぐるんぐるん振り回されて最後とんでもない所にたどり着くからです。

あらすじ:児童相談所で働く小春は、母に捨てられた過去がありながらも平凡な生活を送っていた。だがある夜、度重なる不幸が家族に襲い掛かる。すべてを失った小春だったが、踏切で酔いつぶれていた男性を助けたところ、その男性からお礼がしたいとの申し出が。名前は大悟、8歳の娘ヒカリを男で1つで育てている開業医だった。小春は優しい大悟と天真爛漫なヒカリに癒され、出会って程なくして大悟のプロポーズを受け入れた。不幸のどん底から幸せの絶頂を迎えた小春。物語はそこから始まる。

ということで、少し感想を書いていきます。(物語に触れています)

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いいお話って、起承でいかにごつんと前フリを作れるかだと思っていて、哀愁~はそれが濃くて、これから何が起こるんだろうの期待値がだんだん上がっていくのがわかりました。10歳で抱えたトラウマ。小春の運命が急降下急上昇する前半。笑いもありつつ、運命の出会いがあり、あれよあれよと玉の輿に乗り、晴れて幸せに。現実より半歩離れたその展開に、「おとぎ話」を感じて物語に入り込んでゆく。これでもうこの家族のこれからを見守る準備が整ったわけで、さあここからどうなると、グッと力を入れつつも静かに行く末を見守るのだけど、もうこの時点ですっかり物語に入り込んでるので、登場人物の一挙手一投足に素直に従っている自分がいました。まんまと術中にはまった。大悟の何か心に秘めていること、ヒカリの子供らしさと狡猾さ、小春が追い求める理想の母親像。徐々に滲み出ていく人の不明瞭な内面は怖く切なく愚かで健気なもの。今まで自分が正しいと思っていたものが強ければ強いほどこの作品に振り回されます。観る人の大半は小春に近いかもしれない。何が正しくて何が間違っているのか分からなくなる。その最中にいると根底にある最低限の価値観にしがみつくしかなく、観ているひとりひとりを試しているようだった。ハッピーエンドの形は一つだって誰が決めたのでしょうか。

お話の感想はこのような感じです。咀嚼したくなる作品。

キャストも盤石でした、田中圭さんの優しい雰囲気により泉澤大吾は子供を想い、家族を想い続ける父親、夫として「正しい道を追い求める理想狂」の内面が滲み出ている人物に仕上がっていたように見えました。田中圭さんの実直さと優しさについつい寄り添いたくなりますよね。

土屋太鳳さんは誠に勝手なイメージですが、少女漫画原作の映画のヒロインが多いためかキラキラで柔らかな印象がありました。だけど今作で過去の不遇さからひたむきに人生を生き、さらにはつかんだ幸せにしがみつく為、変貌していく精神疲労がとんでもない役、小春を演じられてて、あれだけ活躍している方なのにまだ違う幅持ってるのかよと驚愕いたしました。

そしてヒカリ役のCOCOちゃん。この作品で演技デビューという時点で驚きました、しかもヒカリという子は、これぞ子供らしさというところを見せていたかと思えば、大人を自在に振り回す得体の知れない怖さを感じさせる難しい人物像だったのですが、おそらくとても勘が良くパワーがある子なんだなと。これから先どんどんドラマや映画で見ることになりそうでとても楽しみです。

とここまでは作品、キャストの感想を書いていきましたが

ここからは冒頭でも綴った超個人的な考察、解釈をつらつらと書いていこうと思います。あくまで超個人的でございますので、てんで的外れなことも多々あると思います、そこはエンタメとして受け取ってくださると幸いでございます。すごい中身に触れてますのでここから先は特に閲覧注意です。    (下へ続く) 






超個人的考察(と解釈)

①衣装の色

この作品において目を引いた一つに登場人物の衣装の色があります。大悟からのプロポーズを受け入れて晴れて家族になった3人。喜びのあまり、婚姻届けを提出しに外へ出た際、手を取り合いミュージカルのように踊り舞います。市役所で三人並んだ時、青いシャツを着た大悟、赤(ピンク)色のワンピースを着たヒカリ、黄色のカーディガンの小春。このわかりやすい色分けに引っ掛かり、色の持つ意味を調べてみました。       

青「知的、落ち着き、誠実」                赤「活力、興奮、高揚」                  黄「愉快、元気、希望」
                 
確かになんとなくわかる。大悟の仕事はお医者さん。男で一つで娘を育てていた良き父親。ヒカリは活発快活な女の子。その場にいるだけで場が明るくなる。小春は児童相談所で働き子供の事を第一に考える優しく、人見知りをしていたヒカリとすぐ仲良くなれる無邪気さも持っている。

ただ、この作品においてそれだけの理由でこの色を着せているとは到底思えなかった。それはこの色たちの持つ、もう一つの意味から分かる。

青「悲哀、冷たい、孤独」                 赤「怒り、暴力、警戒」                  黄「注意、注目」

大悟はヒカリの事に関して何かあるとそれ以外の対象に非情になる。あと、家族の絵画を描いている時、それは小春への慈しみからくるものではなく、本当に家族として相応しいのか値踏みしているようなそんな気がした。

ヒカリは後半から段々と本性が露呈していきます。嘘をつき注目を浴び、自分が邪魔になるものに容赦がない、小春にもその矛先は向きます。天真爛漫なただの子供だと思ったら大間違い。中には狡猾な悪魔が潜んでいました。

小春に関しては見方が違いこちら側が小春に注意喚起するような感じかなと、気を付けて。幸せに身をゆだねすぎると二人に飲み込まれるよと。だけどそこに入り込んでいく小春の人生。変わりゆく小春に注目せざるを得なくなる。

色の持つ意味合いでも少しつかめることがあるように感じます。さらに後半では小春の衣装に紫が多く登場します。紫の持つ裏の意味は「不安」。あくまで身勝手な考察なので飛躍しているかと思いますが、まったく意味がないとは言い切れないなと。



②ヒカリの行動から見て取れるモノ

ヒカリは小春が母親として一緒に暮らしていく中で、当初見せていた快活で天真爛漫な姿を見せなくなっていく。代わりに出てくるのは、言うことを聞かない、ご飯を自分で食べないといった赤ちゃん返り。
ここまでだと母親の愛に飢えているが故の行動だと見て取れる。だがそれは一端に過ぎず、もっと脅威のあるものに変わっていった。

学校から、お母さんがお昼を作ってくれないと泣いてきたといわれた。

小春は確かに毎朝弁当を持たせている。

そして、持って帰ってきた弁当箱は空になっている、気になっている男子生徒が他の女子と仲良くしゃべっているのが嫌で授業中に大声で泣き始め、みんなの注目を一身に集める。

ヒカリは常に自分が幸せな位置にいないと許せない子だった。
それは段々強くなっていき、一線を越えることになる。ここから考えるに、初めはただの赤ちゃん返りと思われていたもの、そしてそこから越えた言動は全てヒカリにとっては幸せを求めたが故の正しい生き方に過ぎないのかもしれない。



③大悟の真意

妻に先立たれた大悟はそのことを小春に話した時こう言った。「あいつは他の男と会ってるときに事故で死んだ、泣くに泣けなかった」浮気されたからそれは確かにそうだけど果たしてそれだけの理由なのか疑問に思った。小春がヒカリのこと(幼児退行)で大悟に相談したときに大悟は「母親が変わる度に起きること」と言っていた。医者だから知識として答えたのか、もしかしたらヒカリの母親として相応しい女性をさがしていた経験談のもと話しているのか、もし後者ならこんなおぞましいことはない。

ただ、アトリエにある「family」の鉛筆画のアルバム、大悟、小春、ヒカリ三人の油絵の肖像画。
これを見るとそんな考えもよぎってしまう。
特に油絵の方。三人の目は白目のままだった。

不気味な三人家族の肖像画、だが終盤その目には色が入れられた。薄い青の瞳が。
達磨の目付けのようなものなのか、そうしたら何をもって達成としたのか、なぜ黒目ではなく薄い青なのか。
青の持つ意味は「冷たい、悲しい」。
大悟達の求める理想の家族像は、傍から見たら暖かみを感じないものに思えてしまう。



④壊れた小春

大悟と出会い、与えられて与えられて、自分の家族もその恩恵を受けたところで大悟、ヒカリの本性に触れて揺さぶられていく小春。
限界まで来てしまいヒカリに手をあげてしまい大悟に「母親失格」を突き付けられる。

小春が一番なりたくなかったもの、自分がまさか最低な母親になってしまうなんて、自分の母親のようになりたくなくて必死についていった。たった一つの過ちでどん底に落ち茫然自失の小春。
大悟はそんな小春に寄り添いまたやり直す提案をする。
小春にはここしかない、ここで自分の理想の母親になる。じゃあここでいう理想の母親って。

そう、大悟も望む、一人娘ヒカリの幸せただそれだけなんだ。
ほぼマインドコントロールに近い状態で小春を掌握した大悟とヒカリ。
いや、小春自身も望んでいた。
自分は与えてもらえなかった母親の愛情を、今度は自分が母親になりちゃんと与える。
自分を失いかけながらも根底の誓いは消えず、大悟、ヒカリの気持ちと呼応した形になったように思える。それがたとえ屈折していたとしても。
小春はあこがれていた、なりたかった、子供のことを最優先に考える母親に。
最後の究極の提案は最愛の表れだった。
一度壊れたからこそ根底の想いに素直になり、小春はやっとヒカリの母親になれた。

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以上、個人的な考察と解釈でした。その人の価値観はその人のもの。周りはどうこう言えるものではないとおもいます。それがたとえ一線を越えていても。とはいえゾッとする場面は多く、ゾッとするということは考えが相反するもので、それは今まで生きてきた中で構成された価値観と違うものなわけで、やっぱりそういうものに触れると違和感は覚えるんですね。何が正しくて何が間違っているのかスクリーンを通して試されているようにも思え、観終わった後も考え続けることに。生きていると常に判断は必要になっていきます。何をもってその答えにたどりついたのか、そこが大事なのではないでしょうか。



小春はきっと見つけたのだと思います。最後に出した答えが最善な理由を。


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