Twitterに人格が飲み込まれたインフルエンサーの末路

お酒を飲みながら書いています。

先日、ある本を読んでいたんだけど、その本のなかで、人間の人格は、複数の人格の構成比で決まるといっていた。

例えば、地元の友達に見せる顔、大学生のときの同期と見せる顔、社会人の会社での顔とうとう。

人格は、どれが本当とかなくて、相手によって使い分け、それが自然で、それは全て真実の顔だよね〜という本だった。そして、その自然な人格の構成比が高い状態でいられると、幸せでいきていけるよ~みたいな話だった。

で、最近、というか前からだけど、インフルエンサーのサブアカウント作ることがあると思っていて、これは多分社会的に構成比率100%を求められて、気持ち悪くなって分けているんだろうなぁと。

アカウント運用していて、自分自信がPublicとPrivateが一貫してくる時、どうしても気持ち悪くなってくる。いうなれば、常にみんなの前で同じ顔をしていなければいけない。よっぽど裏表ない人以外結構きつい。

また、求められていることをツイートしていれば伸びるし、求められていないことをツイートすると、リムられる。そうすると、他人の期待に応えることが学習されやすい設計になっている。

普通の社会で生きていたら、まあ会社ではその期待に応えなきゃ、プライベートは別の人格持てるし...ってなって均衡をとれるけど、Twitterで実名でフォロワー伸びると、365日、常に他人の期待にこたえなければならなくなる、そんな気がしてくるのだ。

だから人格を分離して、均衡を保つためにサブアカウントを作るのだろうそういった期待から逃げるために。

ただ、最近見てると、あまりにインフルエンサーすぎると、サブアカウントまで本アカウントとの一貫性を求められ、サブアカウントが炎上する。

本当、よっぽど成し遂げたいことがない限り、有名になるメリットよりも、デメリットの方が大きい気がしている。よくTwitterで匿名か、実名かの議論はあるけど、ぶっちゃけ適度に人格を切り分けられる居場所は欲しいよなぁと思った。

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