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リモートワークと「生活のフィルターバブル問題」

さきほど、こんなツイートを発見した。

ここ最近、弊社で働いてくれている学生メンバーから、

「どこでも稼げる仕事につきたい」
「将来地方に移住したい」
「市場価値の高い仕事をしたい」

ということをよく聞く。

とはいえ、リモートワークって、良い面だけ語られがちだけど、実はこの「生活のフィルターバブル問題」ってとても大きい気がしている。

フィルターバブル (filter bubble) とは、「インターネットの検索サイトが提供するアルゴリズムが、各ユーザーが見たくないような情報を遮断する機能」(フィルター)のせいで、まるで「泡」(バブル)の中に包まれたように、自分が見たい情報しか見えなくなること。

うちの嫁のInstagramを見ていると、かわいい犬、かわいい女の子、おいしいごはんしか出てこない。これは、普段見ているコンテンツがレコメンドされるからだ。

似たようなことが、生活の中でも生まれてくる。

普段やっている仕事の情報ばかり収集するようになった。
ふと人と出会って、知らないことを知るきっかけが減った。

「今面白い人と渋谷で飲んでるんだけど、来ない?」みたいなのがほとんどなくなった。お酒の機会で仕事につながることが、少なくなった。偶然知らない人に出会う機会が極端に少なくなった。

僕自身、あとで振り返って大きく影響を与えた出来事って、例えば学生の時に友達に誘われていった勉強会で、そこからいろいろな人脈につながって今自分で事業ができるようになっていたりする。

最近結婚した嫁との出会いは、たまたま取ってた授業が一緒だったりしたからだ。

そういう、たまたま誰かに出会うとか、たまたま何かを知る機会が、リモート前提になる社会では、非常に少なくなる。

確かに、何かしら専門スキルを独学で身に付けて、どこでも働ける空間は魅力的だ。ただ、リモートは「偶然超キャリアに影響を与える出会い」とか、「偶然仕事に影響を与えるチャンス」が生まれにくい。(実際はそういう出会いの方が、人生にレバレッジをかかることが多いんだけど)

リモートワークは、新しい人間関係、新しい機会に出会うのが非常に難しくなるのである。

SNSのタイムラインと同じように、自分が望んだ、意図した範囲の結果しか得られにくくなっている。

その弊害は、自分が望んでいること、意図していることそれ以上のことに出会いにくくなってしまうのである。

意図した出会い、臨んだ出会いって、実は自分が出会いを制限してしまっているので、例えば「望んでいない」「意図していない」けど、「人生においては影響度が高い」という出会いをフィルターしてしまっている。

自分の人生を振り返るに、影響度のある出会いとは、仮説外の出会いがほとんどだった。そして、それは出会う前だったら、もしかしたらフィルターしてしまっているかもしれなかった。

では、リモート前提の生活では、このような意図しない出会いを生み出すことはなぜ難しいのか?

おそらく、リモートって出会うまでの手続きが増えたから。

つい最近、親友で社会人で院進学した人が、こう言っていた。

「最近、大学でフラっと教授の部屋に遊びに行くってことができなくなったんだよね。コロナの前は、寄れたんだけど、今はちゃんとアポとって出会わないといけない」

誰かに出会うためにも、非常に面倒な手続きが増えるのだ。だから、偶然その空間にいて、偶然話をする、みたいなやりとりが難しくなる。その結果、出会いがどんどん意図的になっていく。

これは多分、リモートにした会社とかもそうだろう。新卒の人で会社入ったけど、ふらっと質問しにくかったり。出会いもそうじゃないかな。全部オンラインだから、さくっと出会うのが難しくなっている。

リモートワークはとても魅力的だけど、偶然性が大きく失われる。計画的偶発性理論からも言えるように、偶然の出会いが人生を大きく変えることも、研究からわかっている。

リモートワーク生活は、合理性は高いが、偶然性が低い生活様式だ。リモート前提のキャリアを考える場合、偶然性を意図的に上げていく努力が必要になりそうだ。「たまたま」を増やす。これが大事そうだ。


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