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太陽を盗んだ男|変わる味わい3度目鑑賞

本日の巣ごもりシネマは『太陽を盗んだ男』1979年長谷川和彦監督。通称ゴジ監督渾身のテンコ盛りエンターテインメントを、本日コロナ感染者3桁になった東京にて家族3人巣ごもりシネマ。我が家の新中1生は新生活の期待に胸を膨らませていた中学のHP上掲示板にて本日、「今年の入学式はなくなりました。GW後までは学校に来てはいけません」と告知されて朝から気力低下気味。そこで70年代のパワフル邦画を!と思い立ち……。

この映画を観るのは3度目である。

映画は時を置いて再鑑賞すると、前回とは違う別の面白さに気付かされることがある。最初に観た時にあるシーンを観ていて「おっ、これはアレか!」と個人的に何かに気付いたり閃いたりした瞬間にアドレナリンが出て注視している分、そのシーンは長く感じられ印象強く記憶に刻まれる。ところが時間が経って再鑑賞する時、その同じお気に入りシーンに関して言うと、自分なりの面白みを既に知ってしまっているので、誰かに得意げに話したくなる(笑)一方で、個人的鑑賞体験としては「おさらい的に流して観ちゃう」傾向がある。初回よりもシーンが幾分あっさりと短く感じられてしまうのだ。逆に初回鑑賞では見過ごしていたシーンの意味や演出に新たに気付いたりしたら、代わりにその新発見シーンに印象フォーカスがあたる。そうやって1度目2度目3度目と映画体験を重ねることで自分ならではの楽しみや思索の深みを増してゆく“個人的な映画“というものがあるものだ。そういう映画を個人的にコレクションしていきたいと思う。

何かを先取りしていたエンタメで非エンタメな映像

「太陽を盗んだ男」。シーン展開や表現演出は今も飽きずに観ることができる。セリフに多少時代を感じさせる部分はあっても映像として古びていない。ということは逆に言えば、公開当時はいろいろ先取りしていたのではないかと思う。沢田研二(ジュリー)と菅原文太のWスターに池上季実子出演なのに一般的にはウケておらず、カルト映画扱いで興行収入は伸び悩んでいる。当時は時代の気分が映画の先進性に追い付いていなかったのかもしれない。それが20年後30年後と時間をかけて、映画評論家が選ぶオールタイムベストの順位を次第にランクアップさせてゆき、ついに(2018年のキネ旬で)70年代邦画のベスト1に登りつめた映画なのだ。

アクション映画なのか

この映画、最初に観たのは20代前半学生時代にひとりで文芸坐にて。冒頭からのめり込んだのだけど、後半1/3の印象が強くてアクション映画として捉えていたと思う。派手なカーアクションからの車爆破やヘリコプターからの落下スタント(その後の西部警察のような)。でも何と言っても主人公に襲いかかる刑事役の菅原文太が不死身すぎてホラーなのだ(後年、ジョンウーのフェイスオフやMI:Ⅱのなかなか死なない感やゾンビ映画感覚が既にここに)。

心理戦の警察ドラマなのか

2回目に観たのは30代、自宅に特設スクリーンを張ってのホームシアターで夫婦で鑑賞。中盤1/3の犯人の警察への要求あたりの印象が強い。30代自分は広告の仕事で、Rolling Stones「Bridges to Babylon」東京ドーム公演1998の企画担当でプレゼンテーションから実施まで関わっていた経験もあって、本編のストーンズフェイク公演のくだりで(隔世の感はあったけど)面白さアップ。刑事もの心理サスペンス映画として愉しんだ。警察の逆探知捜査やラジオ公共電波でのリクエストなど邦画おなじみの「事件もの心理戦」。

ほんわか原爆づくりをジュリーがやる効果

そして本日3回目は家族3人で液晶モニター。私は50代になった。だんだん視聴するスクリーンサイズは小さくなってるけどね(泣)。3回目で特に印象に残ったのは映画の前半1/3で、主人公が原子爆弾を自宅で製造するシーンだ。アクションエンタメ映画なら、この原爆製造シーンは映画の尺として5分くらいで処理してしまいそうなところを監督は時間をとって丁寧に描いている。主人公のジュリーは、今で言えば、でんじろう先生が日常グッズで作るオモシロ理科実験みたいなノリで原子爆弾を作る。ついこの間まで小学生だった我が子(理科実験動画をいろいろ観ていた)も冒頭から画面に食らいついて笑いながら観ている。おい‼ コメディじゃないぞ。

こうして3回観て、前半、中盤、終盤と面白さのベクトルが違うことに改めて気づいたというワケ。

原子爆弾を作ったはいいものの目的が見つからない。主人公は格差下層市民でもなく政治思想も持たずに警察に爆破予告をするので、視聴者からすると感情移入しにくいはずなのだけど、ジュリーのキャラがはまっているのか、愛嬌のある原爆作りから親近感が芽生え、自分でも気付いていなかった野望に目覚める「悲劇のヒール」になるところが面白い。あらかじめ喪われた生きがいのようなものを、悪魔になることで獲得する悲劇。自らを核保有「9番」と名付けながら、その行為で既に被爆しているのだ。「俺は、神と悪魔の境目を飛ぶんだ」ラストで風船ガムを噛み街頭を歩きながら手持ちの原爆球が爆破カウントダウンする寸前ブラックアウトもカッコいい。

以下は、ジュリーの演技について語る菅原文太インタビュー(を聞く長谷川監督とジュリー)


作風は何かに似ず、唯一無二の異色作だけど、シーンレベルでは過去の映画オマージュ(敢えて挿入している)が見え隠れする。私が観たところ、少なくとも「タクシードライバー」スコセッシ1976、「ロッキー」アヴィルドセン1976、「独裁者」チャップリン1940(日本リバイバル公開が1973)、「天国と地獄」黒沢明1963、「青春残酷物語」大島渚1960、のエッセンスが見られる。

長谷川和彦監督への興味が尽きない

ゴジ監督は映画を2作した撮っていない。(もちろん映画脚本提供やTVドラマはたくさんあるけれど)彼が撮影した2本の映画は、テーマで言えば、1本目が「日本の若者の親殺し」、2本目は「日本の若者の体内被曝」。映画の表層は緊張感あふれるエンターテインメントで引っ張りながら、底流に「戦後日本が抱えこんだドス黒い闇」が見え隠れする社会派映画に見えてくる。

4回目はいつ観ようか。

以下は、長谷川監督が語る制作秘話。


キネマ旬報が選ぶ1970年代日本映画ベストテン、第1位は「太陽を盗んだ男」
#太陽を盗んだ男  #長谷川和彦 #ディレクターズカンパニー

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