進歩の芽をつむ「3つの言い訳」
純粋性とか、ピュアさ、素直さ、などは、仕事や人間関係などをうまくいかせるには、一番大事だと思っている。
ある伝統芸能の師匠がお弟子をみるときに、大成する人をどう見極めるかというと、その「素直さ」だという。
才能よりも、練習量よりも、「素直さ」が勝つというのだ。
でも、素直さはイエスマンのことではない。
自分の芯の部分が綺麗なことだ。
では、どうやってその純粋性とか、ピュアさ、素直さなどは、手に入るのだろうか?
その中にある「素直さ」の反対は、タイトルの通り「言い訳」だ。
つまり、言い訳をやめていくことが、純粋性とか、ピュアさ、素直さを手にいれる大きな第一歩になるかもしれない。
では、言い訳とはどんなものだろうか?
例えば、会社でミスをした時に「●●さんから、そうするように言われました」というような返答も、言い訳ではないだろうか?
毎回、このような返答を繰り返せば、周囲の人はその人に何かを教えてあげることが、嫌になってくる。
なぜなら、言い訳の材料にされるからだ。
このように、いつまでも同じところをぐるぐるしている感じがある人は、自分の中に「言い訳癖」がないか、振り返ってみると良いと思う。
言い訳は、言葉は悪いが「嘘」でもある。
なぜなら、先ほどの「●●さんからそう言われた」なら、なんでもするの?
きっと、教えてもらった時に、少しは考えたはずだ。
でも、それをやったのは自分なのだから、全部とは言わなくても、少しは責任を感じるものだ。
でも、そこに嘘があれば、平然と「私は悪くない」と言い張ることができる。
このような言い訳を、少しでも減らすことが自分の中のピュアさ、純粋性を引き出すきっかけになるだろう。
ところで、言い訳には色々と種類がある。
今日は、それを簡単に説明したい。
まず、一つは、先ほど例にあげた
「私がやったのではありません」という手口。
二つ目は
「私のやったことは大して悪いことではない」という手口。
これは、自分で自分のミスを小さくしてしまう方法。
虐待した親が、「あれはしつけです」とうそぶくようなものだ。
そして、三つ目は
「そうですが、でも・・・」という手口。
最初にちょっとだけ認めて、その後に自分を弁護する方法。
「そうですが、でも・・・」
・そうせざるを得なかった・・・
・ついうっかり・・・
・魔がさしました・・・
・頭が真っ白になって・・・
となって、その次には「悪気はなかった」となる。
また、あの時の私はおかしかった、などと言う場合もある。
このような言い訳のまずいところは、この手法にハマりだすと、「それをいつ使うか」「どう言うか」と言うところばかりに気持ちがいって、内省とか反省などには遠く及ばなくなっていくことだ。
それによって、純粋性は汚れていく。
私たちは、大人になることを、「言い訳をする人間になることだ」と勘違いしているのかもしれない。
それほどまでに、大人になると当たり前のように、このような言い訳を繰り返しているし、そのような人もたくさんいる。
そして、権力を持ってしまえば、このような言い訳も最強の武器になる。
そんな大人を見た子供は、どう思うか?
「言い訳をすることが、大人になることなんだな」と学ぶはずだ。
言い訳は、戦うゲームなどで使う「武装」のようなものかもしれない。
今まですごい武装で戦っていたのに、何もなくなってTシャツで戦うのは恐ろしい。
でも、そんな重い武装でずっと生きているから、生きるのに疲れてしまうのかもしれない。
と言うことは、素直でいることは、強いことなのだ。
そもそも戦わなくても良いから、Tシャツで良いのだ。
そして、強い人には多くの人が集まってくる。
そして、言い訳をしている弱い人たちは、自分でも逃げているし、周囲からも避けられるから、結果的に寂しいことになる。
少しづつでも「言い訳」に気づいて減らしていこうと思う。
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