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備え 4

藤林邦夫の3分メッセージ(『生きる楽しみ』1991年版、pp.6-7。)

備えあれば憂いなしと言いますが、えてして準備のできていない時に人が来られたり、物事が発生したりして、困るものです。

私どもの家庭もご多分にもれず、部屋が散らかっていたりして、大慌てで片付けるようなこともあります。
やはり、普段が大事だなと思いつつ、いつとはなしに、元通りになってしまうのです。

まあこれが、来客、ということであれば、少々お待たせして、冷や汗をかいたり、お詫びして申し訳無く、恥ずかしく思ったりして、それで済むのですが、もっと大きな出来事、人生の終わりや世の終わりのような時には、もうどうしようもない事になります。

新約聖書には、

「ノアの時代、人々は食い飲み、娶り嫁ぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってきて彼らをことごとく滅ぼした。」

(日本聖書協会口語訳聖書 ルカ伝17.27)

と記されています。

しかし、ノアとその家族は、その日に備えて箱舟を作り、そしてその中に入り、難を免れたのです。
つまり、ノアは予見していたのです。洪水の来るのを。


今日的に言えば、フォーサイト(Foresight:前を見る→予見)があったのです。

しかし、人々は食い飲みしていた。これは貪欲ですね。
そして娶り嫁ぎしていた。これは性欲ですね。
ただ本能のままに、それを充足させるだけの生活を送り、それ以上のものは何もなかった……というのです。

現代に生きる私たちも、気を付けないと、欲望のままに生活し、気がつけば洪水がそこまで来ている、ということになりかねません。

繁栄を楽しんでいる日本です。
確かに有り難い国です。

しかし、洪水の来ることを、聖書は預言しています。
それは、罪に満ちたこの時代の終末です。

それを予見して、精神的、霊的に安全なものを人生に造り、その中に生きる者でありたく願います。

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<著者紹介>
藤林邦夫 1935年(昭和10年)生まれ。日本純信聖書学院自主退学、京都福音教会で、35年牧師として従事。ホザナ園園長も務めた。1992年2月召天。
この一連のエッセイは、亡くなる直前に、4年間にわたり書き溜めたもの。


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