見出し画像

ドランに恋して

Xavier Dolan(グザヴィエ・ドラン)って天才がカナダにいる。彼の作品は全て観た。中には繰り返して観てるのもある。見るたびに「こういう天才って世の中にいるんだな」と思うし、つくづく映画は総合芸術であるのだと痛感させられる。今からそんな彼への僕の愛を、誰得の文章ではあるのだが、綴りたい。

初めて彼の作品に出会ったのは高三だった。ゲオでなんとなく「胸騒ぎの恋人」を借りたのだ。ただその時はドランの存在も知らず、ただジャケットに惹かれて借りた。正直、その映画を見て脳天を打ち抜かれるような体験はしなかった。ああ、なんかオシャレだな…と思った程度。先ほど彼はカナダ人だと書いたが、正確にはフランス領だったケベック州のモントリオール出身である。だから彼の映画は全てフランス語なのだ。作風もバチバチにフランスっぽいので僕は完全にフランス映画だと思い込んでいた。カナダ出身と知ったのはその後の話である。

そこから月日が経ち、大学一年生の時に吉祥寺アップリンクでリバイバル上映されていた「わたしはロランス」を観た。そこで僕は脳天を打ち抜かれた、というか心臓を鷲掴みにされたのだ。その時もドランの作品だからという理由で行ったわけではなく、なんとなく気になってた作品だからってことで行った。「わたしはロランス」は長い。3時間近くあるのでは無いだろうか。映画館の椅子に座りながら、若干の長さは感じたものの、でかい画面に解き放たれるドランの独特で奇妙でカラフルで非現実的な世界観に、僕は完全に面食らってしまった。これはヤバい…って感じだった。

彼の作る映画は「ポップ・シネマ」と呼ばれている。近い作風でいうならA24の「WAVES」あたりだろうか。カラフルな衣装やセットに、爆音で流れる音楽。次々と巻き起こる非現実的で抽象的な映像表現。彼の作品を「長いMV」と呼ぶ人もいる。確かにそういう見方もできる(僕は賛成しないけど)。特に「わたしはロランス」は、彼のその手法が顕著に現れている、いわば彼の代表作であるのだ。突然蛾が主人公の口から出たり、部屋で涙を流す女性の頭上から大量の水が降ってきたり、冬の街を歩く男女の上空を大量の洗濯物が飛び交ったり、ちょっと文字で書くとしょぼいのだが、ほんとに強烈で意味不明なシーンが満載である。ただその表現にも全て意味が込められていて、単に言葉として表現するのではなく、「映画」の良さを十二分に生かした視覚的な方法で見る側に訴えかけるのだ。ああ、これは映画だ…と声が漏れる。

ロランスを見てドランが一気に好きになり、そこから彼の作品を追うようになった。「マミー」「たかが世界の終わり」「マイ・マザー」などなど、実際にカンヌで受賞した作品もいくつもあり、どれも素敵な作品ばかりだった。ドランが描く物語には一貫したテーマが存在する。それは「母と息子」と「LGBTQ」である。彼は自分の生い立ちを作品にかなり反映させる系監督で、処女作のマイ・マザーは完全に彼の話らしい。ゲイであり母子家庭で育った彼らしい物語が全ての作品に垣間見える。ネガティブに言えば「同じような映画ばかり」と言えるのだが、ドラン自身がこのテーマに注げる情熱が尋常じゃないので、いくら同じテーマで描いてもその作品それぞれに違った味が生まれているように感じる。ただ好きすぎて美化されてる感もあるが。

そして何よりドランの魅力はその若さである。処女作を作ったのはなんと19歳。しかもその作品がカンヌの監督週間で上映されたのだ。受賞こそはしなかったものの、若干19歳が作った作品がカンヌで上映される時点で異常である。え、だって、大学一年生ですよ…。しかもさらに驚きなのがその翌年に作った「胸騒ぎの恋人」がカンヌのある視点部門(独自で特異な視点を持った作品に贈られる賞)で上映されたのだ。これも受賞こそ逃したものの、20歳が作った作品がカナダ代表としてカンヌに選出されたわけである。その年齢も去ることながら制作スパンの短さを考えても同じ人間だとは思えない。そしてその次の作品「わたしはロランス」がカンヌでクィア・パルム賞(LGBTQについて描いた秀作に贈られる賞)を受賞するのだ。この時で22歳である。まあそっからも何個かカンヌで受賞して、今彼は8作品くらい作ってるのだがまだ31歳らしい。カンヌに贔屓されてるのかな?と聞きたいが、まだ肝心のパルム・ドールは受賞してないので、いつか受賞してほしいと願う。

彼のドキュメンタリーがある。そこではドランがどういった映画人生を送ってきたのか、どのように制作を進めているのかが、ドランをはじめとする常連俳優や親族を中心に語られる。彼の叔母さんはカナダで活躍する映画批評家らしく、昔からドランに多くの映画をみせ彼に感想を求めていたそうだ。その時、叔母さんが驚愕することがあったらしく、なんとドランは一回映画を見ただけで、その映画のカット割をほぼ全て記憶したらしいのだ。映画はいくつものカットからなる。画面が何回も切り替わるだろう。そのワンカットワンカットに監督の意図が込められており、それが積み重なりいわばモンタージュとなって表現が生まれる。ドランは幼い頃からそのワンカットずつの構図や流れを暗記していたのだ。やばくね? なんかすごい監督は結構暗記能力にたけてるらしいんだけど、流石に覚えられても半分ほど。しかもそれを一回見ただけでってマジで化け物だよね。

まあそういう超能力もあって、彼は往年の傑作たちから多くの手法を学び、自分のスタイルを確立したそうだ。タイタニックは数百回見たと言ってるし、ウォン・カーウァイの「花様年華」も大好きだったそう。ドランが得意とする音楽かけながらスローモーションでの表現は「花様年華」からの影響なんだとか。他にもエリック・ロメール、ルイ・マル、イングマール・ベルイマンなどなどいろんな伝説的な傑作が好きだそう。ちゃんと英才教育受けてるんだよな。リンク貼っときます。

最近の作品でハリウッドデビューして初めて英語の作品作ったり、それで結構叩かれてるけどまあそれもそれでいいかな、とね。むしろ駄作って呼ばれるような作品をリアルタイムで映画館で見れたことに興奮ですよ。僕的にジョン・FもM&Mも最高だったんだけど。

またドランが映画を作ってくれたらどんな状況であろうと映画館に駆け込むよ。まだまだ彼の偉業を讃えたいけど、ちょっと疲れたからここら辺で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?