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音楽の原風景 〜その5〜


さて、大学に入学しサークルにも無事に居場所を見つけ始めただいじ少年。そんな新入生にさっそく『新入生腕見せライブ』という晴れ舞台がやってくる。

二年生以上は先輩バンドとして、新入生は全員がサークル内でバンドを組み、1バンド15分の持ち時間で演奏を披露するというものだった。MEGADETHだったりHelloweenだったりイエモンだったりハイスタだったり、参加バンドのリストを見るといろんなコピーをするバンドが軒を連ねた。そんな中で俺は応用科学科の速いドラムが叩けるM(後に部長になる)、Mと仲の良いギタリストの留年生ジョニー(と何故か呼ばれていた)、精密工学科のギタリストS(同じバイトをしたり付き合いは一番長かった)、そして少し頭のおかしいボーカル志望の応用科学科のSという5人の仲間とXとHideをやることになった。曲目は

・World anthem(フランクマリノ&マホガニーラッシュが原曲ではあるが前記事のBlue bloodからのカバー)

・Blue blood(流れとして添付動画のイメージ)

・DICE

の三曲に決まった。

そんな中で大学生活も学科内の付き合いに加えバンド仲間との時間も増えていく中、ジョニーから一枚のCDをもらう。

それがJUDAS PRIESTの『METAL WORKS 73〜93』だ。

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半分「要らないから」と言われ押しつけのような形で貰ったのは覚えているが、実は初めて聞いた感想は「カビ臭い音楽だな」だった。それもそのはず、2000年にもなって30年近く前の音楽を聴いているのだ。音質も古く、BPMもXに比べると圧倒的に遅く、刺激的では無かったのかもしれない。しかしどこか懐かしく新鮮だったなぁと思っていた矢先、ある一曲のイントロに脳味噌をブン殴られる。名曲「PAINKILLER」だ。

垂れ流していたCDウォークマンから雷鳴のようなドラムソロが流れてきた時に受けた衝撃は今でも忘れることはないだろう。ここで初めてバンドのバイオグラフィーなどの細かいことを調べる。ちょうどヴォーカルのロブハルフォードが脱退し個人のバンドHALFORDとして活動、本隊は別のヴォーカルを迎え活動中とのことだった。その当時の本隊にはあまり興味が湧かなかったが曲は聴けるし、そして後にHALFORDとChildren of bodomが対バンをした渋谷公会堂でロブのヴォーカルに更なる衝撃を受け緩やかに、そしてディープにJudas priestにのめり込んでいくのであった。(後日ジョニーにCD代として500円渡したが未だにいい買い物をしたと思っている)

『Hellion』の神々しさ、そこから『Electric eye』に繋がるヘヴィメタルの様式美。『Metal gods』のバカバカしいくらいの仰々しさ。『Living after midnight』や『You’ve got another thing coming』のアメリカンロックのカッコよさ、などなど初めて聞いたときのイメージは消え去っていた。

そしていろいろあって入学から6年、めでたく大学を卒業する際にサークルの主催する卒業ライブというのに出演させてもらったのだが、前に述べた同期の数人が見守る中後輩と友人の協力も得て卒業の印にこのバンドをコピーさせていただいた。学生生活におけるサークル活動はXに始まりJudas priestで幕を閉じた。

余談ではあるがそのライブ開催場所が恵比寿ギルティーというライブハウスだったが、今は恵比寿CreAtoという名前に変わっていて、数年後地下アイドルを観に足しげく通うことになることを付け加えておく。その当時は知る由もなかったが。

その後はJudas priestが来日するという報あれば出来るだけ予定を合わせて必ず観に行くようになった。年齢はもちろん、病気だったり、往年のメンバーじゃなくなったりしているが、いつ最後になるかわからないというのはこのバンドにも当たる話でもある。去年のDownload festivalは心躍ったなぁ。そんなメタルヘッズが出来上がる大きい影響を与えたバンドだ。

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そして卒業してからも、ありがたいことにコピーバンドをこのバンドが好きなサークルの先輩や後輩と2、3回ほど出演することもあった。「ベースを弾く時の音質や佇まいがイアンヒルに似ている」ということを言われることもあり、苦笑いをしながら心の中で少し喜んでる自分もいたりする。

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なかなか難しいけど、またいつかあの光の中に戻りたいなぁ。

【次回予告】

SLAYER is SLAYER.

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