外側と裏側

大学生の時に友人が読んでいた書物を見せてもらった時に衝撃を覚えたイラストがあった。



G・ガモフ『人体裏返しの図』のリメイクイラストレーション(渡辺冨士雄・作)である。(添付リンク先三枚目)

(あれ、リンクの貼り方いい感じだぞ)


当時「こいつは何を考えてるんだ!?」と不思議に思うどころかヤバい思考の持ち主だとさえ感じた(表立った行動は普通だったので毛嫌いすることはなかった)が歳を取り思い起こすと感慨深いイラストで、とても考察が難しいのだけど考え方の角度によってはフィットすることが多いものだったことに気付く。


数学科に在籍していた僕は分野の一つとして位相幾何学(トポロジー)も学んでいたが、人体をアナル(ちょいと使う単語はご容赦を)と口腔を食道で繋いだ管と考えると、それを裏返す事で宇宙すら体内に内包出来るという考え方は大昔からあったそうだ。この辺りの考え方が若かりし俺には「頭がおかしい」とその友人に感じたのだが、いつのことだったかこれを世の中に当てはめてみたことがあった。この位相幾何学的哲学の考察も甚だ頭がおかしいとも思うが相似性はあるとも思うので書いていこう。(読んでてチンプンカンプンになるんだろうなぁ)


外見を気にして、身だしなみを取り繕い、整備された土地を行き、区分化された時間にその身を置き生きるこの社会を整った外側と考えると、それに内包された人の心はそこまで理路整然とされて綺麗かって言われてもそうではない。むしろ極論を言えばその真逆で皮肉や憎悪、嫉妬にまみれ荒廃したものなのかもしれない。


綺麗な外側で汚い内側を内包しているのだ。


その人体を裏返す。すると口腔とアナルを境目として内臓が外側に出て世間(宇宙などの森羅万象含め)が内側に内包される。よく内臓は綺麗だという表現を耳にするが(一旦タバコだの脂肪だのの話はあるが思考の段階で無視する)、これを『綺麗な外側で汚い内側を内包している』という思考で落とし込むと、『世の中は汚いものだ』というこれも意外と哲学的に深く刺さる表現になる。

よくテレビなどで犯罪の目撃者やご近所さんへの取材などで聞くことのある「そんなことをするとは思えない」という言葉。やはり内包しているものが汚ければ汚いほど外見ばかりよく見せて騙し続けているという実証のひとつでもあるんだろうな。


そんな醜悪なモノ(ヒトなんて表現すら生ぬるい)はそこかしこに転がっているよ。裏切りなんてそんなもん。
















ほら、あなたのすぐ近くにね。


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