After Covid-19

緊急事態宣言が出てからもう少しで二か月経とうとしている。生活様式はある程度の落ち着きを見せ、閉塞的ではあるが少しずつ日常を取り戻している様子はある。

テレビを付ければリモート出演、ラジオを付ければアクリル板による遮断に電話出演、配信のプラットフォームもYouTubeをはじめ多岐に渡ってきた。少し探せば24時間誰かしら配信をしていているような様子だ。かく言う俺もTwitterを流し見たりインスタを開けてはアクティブなものを見に行ったり、作業中はYouTubeを垂れ流し寝る前は配信を見たり音を聴きながら眠りにつく毎日。ルーティーンとして見るものも固定化し、ランダムに入ってくる配信情報を組み合わせて自粛をエンジョイしている。

特に先日はでんぱ組.incが無観客ライブを配信し、ハッシュタグが盛り上がりを見せたのも個人的なトピックとして記憶に新しい。

毎週火曜と金曜午後十時半からお笑い芸人のしずる 村上純氏をはじめ、フルーツポンチ 村上健志氏、ライス 田所仁氏、やさしいズ タイ氏の配信しているリモートTVも新たなルーティーンに入ってきたエンターテインメントの内のひとつだ。

こちらは前の生活だったら確実に寝ている時間の配信なので新たな楽しみを見つけたと言っても過言ではない。

しかしながらそんな時にふと思うのは、もしこのコロナ禍が明けた時に今世話になっている配信系の醍醐味が薄れてありがたみが無くなってしまうのではないかということ。

正直自粛の名の下に外出を極力控えるのは辛い。精神的にも疲弊するし、それを他人に垣間見ることもある。そんな中産まれたアイデアである配信系のものにはとても感謝しているし、見返りと言うと偉そうな物書きではあるがスパチャや投げ銭、スタンプなどの金銭の絡むものは過度にならない程度にしっかりしていきたい。『タダより高いものは無い』が、向こうも人間であり稼ぎがないと生きていけないのだ。しかしながら承認欲求の依り代となっている側面も生まれているからお財布と相談したり、意地の張り合いになったりしないよう配信者と見る側がお互い気持ちよくいられるよう気をつけないとならないが。

しかし完全な日常を取り戻したら、配信系の文化は確実に失われていつか忘れられていく。このコロナ禍において人類が知恵を絞り出して産み出した文化を覚えて語り継いでいくことがこの時代への挑戦なのかなぁと考えるのだ。そして(言葉をひとつに集約すると)投げ銭はこの時期を支えてくれたエンターテインメントに対する対価としても少しずつではあるが続けていきたいと改めて思うのである。

そしてぼんやりではあるが徐々に出口の見える先には、よく足を運ぶライブの在り方も頭を悩ませる。俗に言う『密』だ。殊更音楽に関してはかなり考えることになると思う。リズムに身体を揺らし、衝動に声を上げ、汗をかき、身体を動かす。その全てに制限、もしくは禁止の波が来てしまうのでは無いかと考える。それは楽しみ方の変化とも言えよう。ただクラシックやジャズ、演歌や浪曲ばかりを聴くわけでは無いのでその強制?は正直俺は不可能に近い。全てのライブを直立不動で聴き続けることは、すなわち衝動の発散を止められていると同義であると感じるのだ。かと言ってすぐにオールオッケー!みたいな日が来るわけがないのも自明だ。それを考え始めると出口のない迷路を堂々巡りしている気分になる。

とまぁここまで悲観的なことを書き連ねてきたが、実はこの時期はチャンスであるとも考えている。分野の裾野を広げる際に全く違う分野に足を踏み入れ化学反応を促してみるというのは結構ありきたりではあるが、色々な文化に触れたり省みたりすることが多いこの時期にもそこに光はあるのじゃないかとも思う。仕事面でも趣味の面でも少なからず発想を止めることが無ければ何かしら光は見えてくる気がするのだ。そしてこの時代を通り過ぎた後の『自粛の箍』が外れた時、それが大きな力となるようなことも考えている。いくつか着手していることもあるのでそれが新たな時代の光となってくれたらと願っている。わかる人はわかるしわからない人はわからないし、理解ある人もいれば理解できない人もいるだろうけど。

時間は有限ではあるが、不自由なこの時期に対して使える時間って実はかなり多い。それを自分のためだけではなく、自分の好きな人、モノ、ありとあらゆる事象について考えることもひとつの自粛の中で出来ることなのではないだろうか。


斜に構えている暇はない。


長々と取り止めのない文を書き殴ったが結局何が言いたいかと言うと、最前線で戦ってくださってる皆々様には感謝の意と、早くワクチン作って完全に平らな日常が一日も早く来ることを願うだけである。

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