戦前の“お悔やみの言葉”が凄い件

※全文無料で読めます。
1933年『葬儀の心得』に書いてある“お悔やみの言葉”のお手本が面白かったのでご紹介します。著作権が切れているのでスクショしてご紹介しても良いのですが、縦書きで(noteとの相性的になんかなー)と思ったので引用の形をとります。

なお、あくまで当時のマナーブックのようなものでしょうから参考までにしましょう。くれぐれも新しいマナー講師爆誕のようなことになりませんように。
旧字は新字に改め、振り仮名も気の向いたものだけ付けて引用します。

>悼(くやみ)の言葉については父母、夫婦、兄弟、姉妹については「お力落」(おちからおち)他の親戚については「御愁傷」(ごしゅうしょう)の語を用ひる慣例であります。その例を一つ挙げて置きます。
「このたびは、とんだお間違で、さぞお力落しのことゝ存じます。日頃御無沙汰のみいたしをりまして、いつかお目にかゝらうと心がけながら失礼をして居ります中(うち)にかうした時にお伺ひする次第となりまして申訳ございません。何卒お許しを願ひます。お知らせを頂きましてほんとうに驚きました。皆様お気疲れの折柄、くれぐれも御身御大切に遊ばします様に」
香奠を出すとすればこゝで「お悼(くやみ)に上がりましたほんの志でございます。どうぞお納め下さいますやうお願ひいたします。
 大体右のやうな心掛けでやれば失策はないと思ひます。

(おぉぉ…長い…物々しい…これを弔問に来た人が一人一人だか一家一家で言っていくのか…凄いな……)と私は感じました。

とはいえ構成としては
①お悔やみの言葉
②長く訪問しなかったお詫び
③驚いた旨
④健康への気遣い
⑤香典を渡す口上
なので決して複雑ではありません。今の感覚でしたらキャッチボールの中で自然と出てくるものでしょう。仰々しい表現に気のインパクトが強く、一方的にまくし立てられているような感を私が覚えたのかなという気もします。

しかしよく時代劇などで子供が一丁前に挨拶できるようになったのを見て親が感動するシーンがありましたが、なるほどこれだけ述べる子を見れば「立派になったなぁ」と思うでしょうね。

個人的に面白かったのが
「このたびは、とんだお間違で、さぞお力落しのことゝ存じます。」
「とんだお間違で」
の言い回しです。「とんだご不幸で」や「あってはならない事で」、「まかり違って」のようなことなのでしょうが、今の時代に言うと様々なリアクションがありそうですね。

出典

仏教生々会 編纂『葬儀の心得』,仏教生々会,昭和8. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1457732
(参照 2023-07-11)


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