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津原泰水先生とわたし

(今から、津原先生のただの一ファンに過ぎない私が、どうして文学フリマ大阪で津原泰水文章講座の冊子「文章講座植物園」を委託販売することになったのか、その経緯をここに熱く書く予定です)

はじめて読んだのは「赤い竪琴」だった。赤い表紙だったのをとてもよく覚えているので、単行本だった。
多分30代前半、当時は読書ブログを読んでは知らない作家さんの良さそうな作品をひたすら読んでいた。もともと活字中毒で、月10冊ペースで読んでいた時期だ。
一読して「大人だな・・」と思った。当時30代でとっくに自分も大人だったが、大人の恋愛小説だと思った。「全部書かないのがますます大人・・」とドキドキした。それから、この作家さんは音楽をやる方なのかな、耳がいい方だなと思った。
次に読んだのはなんだったか、綺譚集が先か蘆屋家の崩壊が先か、忘れてしまったけれど、次々に読んだ。妖しくて美しかった。大人だと思った。音楽もやっておられた。
少し印象が変わったのが「ブラバン」だった。私はブラバン出身者だ。もちろん広島出身でもなくコントラバスでもなく男性でもないんだけれど、読みながら「あ、これは私だ」と思った。親近感がすごくわいた。
その後「バレエ・メカニック」でまた遠い存在になったりはしたものの(私にはとても難解だった、でも、わからないのに面白かった)、「11」の「五色の舟」(←無料で全文掲載されていますので是非)で、自分は8月6日生まれなものだから、またしみじみと読んだりもし、「クロニクル・アラウンド・ザ・クロック」では音感が物語のキーになっていてまた近い存在に感じたり、作品ごとに次々と色を変えていく作家さんだなと思った。

読書感想を集めるサイトに投稿したことがあり、その時「ブラバン」の感想を書いた。当時私は大学の時にやっていたバンドを再結成していたところで、だから「ブラバン」を読み返して思うところが多々あった。それで「ブラバン」で感じた当事者性というか、そこに自分がいると思ったこと、若い頃に夢中になる何かを持ってる人ならみんな思うんじゃないかと思ったこと、なんかを、ちょっとうざく熱く語った。それを先生が読んでくださっていてリツイートしてくださった。
要約すると「自著への賛辞をリツイートするのはお行儀が悪いような気がする」が、「楽しかった、を思い出させてくれた感謝を込めて」と書いてくださっていた。
うわあああああ!ってなって、何かコメントを!!!ってすごく思ったが、嬉し過ぎて何も書けなくて時期を逸してしまった。でも感想がご本人に届いたのは、すごく嬉しかった。

そのあと何年も経ち、コロナがきた。私は趣味の音楽のライブ活動ができなくなって、とあるきっかけで小説を書き始めた。大阪文学学校という学校に入って本格的に書く最初の時。掌編小説は書いたことがあったが長いものはまだ書けなかった。どうしようかと思っていた頃、津原先生のこんなツイートがあった。

朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。
という書き出しが指定された、ユニークな公募。 【共通の書き出しから物語を作ろう!】 - 日本SF作家クラブの小さな小説コンテスト

小説って結局自分のなかの引き出しからしか出せないものだなと今は思っていて、そこがとても苦しい時がある。最初からそのスタンスでいってたら私は何も書けなかった気がしているんだけれど、こんな風に何か指定してもらえると、何か書けそうに思えた。それに「世界の終わり」は非現実すぎて自分のなかの引き出しを開けなくてもよかった。
何か書けた。文学学校でも合評いただいて最初の作品としては滑り出しもよく、コンテストもビギナーズラックで最終選考に残った。
先生のおかげだったと気付いたのはつい最近。このツイートがきっかけだったと思い出せたからだった。

その後2年ほど文学学校で小説を書いて公募に応募する日々が続く。文学学校では合評がメインだ。作品を生徒が読んで合評する、チューターと呼ばれる先生がそれをまとめる。ほとんど知らない方々から辛辣な意見だったり褒め言葉だったりをもらう。そして仲良くなる。小説を書くのはただ楽しかったし、読んでもらって自分が思いもしなかった読み方をされるのはまたとても楽しかった。でも自分は(悪い意味で)わかりやすい小説を書いてしまうので、皆さんの合評もどちらかというと似たような方向になりがちで、人によって全然解釈が違うみたいなことにはあまりならなかった。
津原先生みたいな「大人」なもの、「書き切らなくて感じ取れるもの」を書きたいと、ずっと漠然と思ってはいた。

「津原泰水文章講座」をオンラインでやっておられるのはツイートで見て知っていて、その都度予定は確認するのだけれど、いつも何か予定が入っていて参加できなかった。参加したら津原先生流の書き方を教えてもらえるのかと思ったし、今必要だと思っていた。
やっと参加できる日程がきた。昨年の6月25日。恐る恐るズームで入ってみたら、先生だけが映し出される講座っぽいものかと思っていたら皆さんずらっと画面にお顔が並んでいて、私の顔もあった。先生はとても打ち解けた様子で皆さんと話していて、「じゃあはじめましょうか」となんとなくはじまった。「初めましての方は?」と聞かれたので私が手をあげたところ(ちなみに私だけだった)、私の本名(で登録していた)を呼んでくださり、「うわ、認識していただいた」というだけで舞い上がって「はい」しか言えなかったが、今講座がどういう流れになっているか説明してくださった。「植物をテーマに生徒さん方が作品を書いて、その講評をしているところ」だと。今どの作品について語っているかなどきちんと教えてくださったので、必死で作品を読みつつ先生の話をお聞きして講座について行った。ひとつひとつの作品にとても丁寧に感想を述べられていた。
私も書こうと強く思った。同人誌を作ろうかというお話も出ていたが、それはともかく先生に読んでいただきたい。
その一心で、一週間で書いた。正直、植物に全く詳しくなかったので、詳しくない女を主人公にして書いた。幻想的な終わり方をしたかったのに気付いたらすごく現実的な終わりを迎えていて、あーまたわかりやすいものを書いてしまったなと思ったが、早く読んでいただきたかったので、とにかくアップロードした。
次回の講座は、先生が一旦入院するので、退院してからになります、と聞いていた。楽しみにTwitterなどをチェックしていた。

10月5日、津原先生ご逝去のニュース。
ニュースをみて泣いた記憶がこの時以外にない。
たまたま仕事を休んでいたので、泣きながらお昼を食べた。
読んでいただけたかどうかもわからない。感想はいただけなかった。もっと早く、お話しするチャンスは何度もあった。全部逃した。

同人誌発行の話が出て、生徒さん方でグループで話し合っていた。私も参加予定だったけれど、私だけが先生とほぼお話ししたことがないという寂しさと、あまりに新参者すぎて図々しすぎやしないかと思い、ギリギリになって一度「やめます」とコメントして去ろうとした。何人かの方が引き留めてくださって、私の作品も、「文章講座植物園」にも収録いただくことになった。ここで試し読み可能。

全部あとでわかったことだが、津原先生のツイートがきっかけで小説を本格的に書き始め、続けることができていた。そのおかげで、今回も一作書くことができて、先生と同じ冊子に載ることができた。
巡り巡ったんだな、とあとから思った。その感謝を伝えたかったな、と思う。

文学フリマ東京に出店されていてたくさんの生徒さんが集まって盛り上がっておられた。遠く(大阪)から眺めていた。大阪で手伝えることはないかな、と思っていたら、文学フリマ大阪にも出すかもしれないという話が出ていたので、声をあげたら、冊子を預けてくださった。
こんな正体不明の新参者に預けてくださり感謝しかない。

当日は精一杯委託販売させていただきます。文章講座植物園、D-55、56ブース(私は55)にあります。是非、ご覧になってください。

あ、文章講座植物園には津原泰水先生の作品も掲載されています。うち「エルビスさんの帽子」は、こちらのシリーズの猿渡さんの高校時代のお話です。飄々として最後に心があったまるお話でした。また猿渡さんに会えてすごく嬉しかった・・。



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