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コロナの時代とSFについて

数日、雨が降り続いた。最近は「天気の子」みたいに雨が降る。あの映画には、雨が降るのには理由があった。まあ、私たちがその理由を甘受しなければならない理由はないし、いろんなざらっとした感情は残るものの(あの映画はそこが好きだ)、理由があった。でも今降っている雨はただの気象の変化だ。温暖化とかいろいろあるのはわかっているしぎりぎりと突き詰めたら私がある日捨てたゴミのせいかもしれないけれど、まあとりあえずは理由もない雨。ただ、理不尽に雨が降っているだけだ。

ここ一年で40数年生きてきた私の感覚が非現実味を帯びている。SFの世界のようだ。さまざまなSF作家が描いてきたひとつの世界が具現化してんじゃない、このコロナ騒ぎは、なんかそんな気がしてならず、ずっとふわふわしている。なのですごく雨が降ったときも、いろんな人を心配しつつ、どこかで「天気の子だなあ」とか思っている。そんな日々。

世の中全員がマスクしてる世の中。ってだけで十分SFだ。なのにその世界に慣れてしまっている。どうなってるんだ。そして世の中全員がマスクしている中で、オリンピックするとか、誰が想像できただろうか。別に批判とか賛成とかしたいわけではなくて、もうただひたすら、非現実的。

なんだろう、価値観や世界観の違う世界が合わさってぶつかりあって、ってところに、SF的なニュアンスが生まれるんだと思うんだけど、今はまさにそんな感じだと思う。

なんかそんなコロナの日々を記録しておきたく、突然筆をとった(って、今はどう言えばいいんだろう、筆どころかペンすら持たないが。これも時代が変わった象徴か)。

昨日、ワクチン接種をしてきた。注射1本打つのに特設サイトに行っても予約できないと数日大騒ぎして、サイトに10分前からつないでじっと見つめて待つ、そして「つながった!」って言いながら慌てて予約。あとで友達たちと、「予約できた」「自分はダメだった」と言い合う。まるで星野源さんのライブチケット並の高倍率だ。注射1本に。なんて非現実だ。

でもこの非現実を確かめようと、あえて大規模センターに接種に向かった。

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動線がすごくちゃんとしていて、あらゆる場所にたくさんの人が立って、あちらです、こちらです、と言ってくれた。ただひたすら人が過ぎていくのも味気なかろうと思い、その都度お礼をするのだが、それも大変なくらい、たくさんのスタッフさんがいた。感謝しつつ、なんだかここでみんな踊り出したらミュージカルみたいだなあ、とふと思ってしまった。案内の手を左右に振られると、なんだかダンスを始めそうに見えた。そこまでの非現実はなかった。

私の接種の日は、大阪では雨がやんでいた。もうしばらく、どこもかしこもやんでいてほしい。どこかに祈ればいいのなら、いいのに。

ちなみに、モデルナワクチンの1回目、翌日は腕の腫れと、微熱が出た。腕も痛くてたまらないほどでもなく、微熱もギリギリ仕事ができて、文章が書ける程度。こういうのが、仕事が休みづらくて、一番しんどいかもしれない。

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