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「風景」から


内房のとある海辺の風景

2019年の末、コロナ禍の混乱が始まる少し前に、房総半島の海辺の森の中に小さな家を購入しました。もう長いこと、チャンスがあれば房総半島の海辺に住まいを持とうと考えていましたが、ようやくその機会に恵まれました。

さて、今これを書いているのは2024年、以前思い描いていた海辺の暮らしがどうだったか、、実際の暮らしが思っていたよりものんびりしたものではないことだけは確かですがはっきりとは思い出せません。しかし、この海近くの森の中の生活が始まってから数年、「風景」というものの見え方が少しずつ鮮明になってきたことを感じています。2021年からは北アルプスの奥地、雲ノ平の環境整備の活動に参加するようになり、自然環境との関わり方についても影響が生じています。

風景という言葉は、何も大自然を指すだけではないと考えます。時代は遡って、20年ほど前、大学生時代の夏の定番の過ごし方と言えば、日本各地の野宿をしながらの自転車旅でした。2017年に設計した喫茶ランドリーの仕事以降、全国各地で設計の仕事が続いていますが、都市や郊外の風景に関わる仕事もまた、学生時代の旅の風景から連続した感覚があります。

更に遡れば、書店を営んでいた実家のある郊外の暮らし。持ちつ持たれつの個人商店との関わり合いの暮らしもまた、設計やまちづくりの仕事に大きな影響を与えているように思えてきます。

40代になり、自分に与えられた仕事に今までの経験が意図せずに繋がってきたようです。このあたりで「風景」についての感じること、考えることを気ままに書き残しておこうかなと思います。続けることができたならば、私なりの風景論が見えてくるのかもしれません。

よい風景が生まれたり、残ることをほんの少し願いながら。


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