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美しい道の「風景」

もう10年以上前、NHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」を見ていた時のことです。

正確な記憶ではありませんが、土木技師の主人公が地下鉄の計画をするにあたって、上司と「美しい」と「安全」のどちらを取るかについて議論をしていたのです。私はハッとしました。

気がつけば、無意識のうちに世の中で美の序列は大きく後退しました。
私は建築設計の仕事をしていますが、美しいを判断理由に用いる現場には出会ったことがありません。私自身も、考えたり図面を引く際には大きな要素であったとしても、議論の中で用いることはほぼありません。もはや、「経済的」「安全」などに対して「美しい」は太刀打ちできなくなっています。昭和41年、丸の内の東京海上ビル計画の際の「美観論争」のような議論は、近年の超高層開発では起こっているでしょうか。

かつて首都高6号線の計画の際、高さについても議論がありましたが、近年の鉄道や道路の高架化の中で風景の美しさに関する議論は聞こえてきません。安全のために行われることに、美で対抗する、そのような状況はかつての出来事になったようです。美術の現場ですら、美しいという基準の扱いが非常に難しい時代です。

そんな中、ふと雲ノ平トレイルクラブのHPを見てみると、最初に書かれているコピーに「美しい道」と書かれているではありませんか。

登山道整備や植生復元の活動をして、美しいという基準が通用する世界があることに、とても驚きました。そしてその美しさの感性については、美術や建築などに関わっているかどうかは関係ないのです。誰もが美しいか否か、その判断に関わることのできる現場に、私は大きな希望を感じました。雲ノ平の現場に「美しい」は確かに存在していました。

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