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この街と今までの関わり

18歳の時からこの街(釜ヶ崎)で活動を始めました。

生まれたのは大阪市西成区の鶴見橋という場所で、釜ヶ崎からは道路一本を隔てた地域です。母方がこのあたりの出身で家業は革製品の加工をしていました。

父方の祖父が土建屋をやっており、当時西成の北開に資材置き場があって、幼い頃父に連れてってもらい、ユンボに座らせてもらったりしたことを今でも覚えています。
夕方の資材置き場兼事務所には、アスファルトの汚れがついた作業着を着て、日焼けしたおっちゃんたちがいっぱいいて、日雇労働をしている人もその中にはいたみたいです。当時はそんな認識もありませんでしたが、みんな笑顔で話しかけてくれたのを覚えています。「ぼっちゃん」だとか「ボン」だとか言われていた記憶が今も残っている。
小学校低学年の時には父が祖父から独立し、西成で土建屋を開業しました。

その後我が小林家は阿倍野区に引っ越ししましたが、従兄弟や祖母は西成に住んだままだったので、しょっちゅう週末に遊びにいっていました。
当時は今よりもっと労働者も野宿者も多く、屋台や泥市(露店)もたくさんあって、不法投棄のゴミも多かったことを覚えています。

いとこが運転する自転車の後ろに乗せてもらい、花園北の陸橋を横断しているときに、陸橋で手を広げて寝ていたおっちゃん(おそらくホームレス状態だと思われる)を轢きそうになったこと、
小学校の時に聖天山公園で遊んでいたら、小屋を作って生活をしていたホームレス状態のおっちゃんがしょっちゅう野球に入ってきたり、ボールが家に当たったら怒ってきたり、
そんなことを覚えていますが、こどもだったからなのか、今よりホームレス状態の人がたくさんいたからか、もっと生活の中に当たり前にいた印象があります。

時は経ち、大学生になり、こどもに関するボランティア活動を始めました。
元々活動していたボランティア先(YMCA)で西成の児童福祉施設のお手伝いに行く取り組みがあり、先輩から誘われたことがきっかけで「山王こどもセンター」に関わることとなりました。
それがこの街で最初の活動。当時18歳。

そこからのめり込むように釜ヶ崎で活動するようになりました。
主にこどもがメインで山王こどもセンター以外にも「こどもの里」にも関わるようになり、
そこから派生して、越年(年末年始)の炊き出しのお手伝いや夜まわり活動に参加しました。
深く関わっていった結果、こどもセンターとこどもの里でアルバイトスタッフとしても関わる機会をいただきました。

大学の後半、就職活動のタイミングで、「釜ヶ崎で働くかどうか」という選択をするタイミングがありました。割と周囲の人はそのまま釜ヶ崎で働くと思っていた人も多かったみたいですが、
いろんな個人的な思いとこだわりがあり、民間企業で就職しました。

民間企業で営業として働きました。一度転職し東京に移住して生活をしていました。

そんな時、2014年にHomedoorと出会いました。
自分より若い人が魅力的な活動をしていて、すごく衝撃を受けました。
「なんらかの形でこれからも関わらせて欲しい」と伝えて帰京しました。
東京に帰る新幹線でいろんな思いがグルグルと回りました。

その1ヶ月後くらいに、またHomedoorと関わる機会をもらいました。
その時にHomedoorで働かないか?とお誘いを受けました。
避けていたNPOでの仕事。その場で答えは出せませんでした。
帰り道の新幹線でずっと心臓がドキドキしていたことを覚えています。

心臓のドキドキがその後も止まりませんでした。そして、誘われた日から3日後、会社に退職したいことを伝えました。
何度か退職交渉を繰り返し、半年後、Homedoorで働くこととなりました。

Homedoorでは街歩きやワークショップなどで釜ヶ崎と触れる機会がありました。僕のことを学生時代から知ってくれている先輩たちからは「だいごが帰ってきた」と喜んで(いたかどうかは怪しいw)もらえました。でも僕の方が、また大好きな人たちと近くに来れて嬉しい気持ちでした。

その後2017年に学生時代から関わっている山王こどもセンターで働かないかとお誘いがあり、山王こどもセンターにまた戻ってきました。山王こどもセンターでは、主に地域の幼児〜高校生年代までと毎日遊びながら、育ち合う日々でした。また、保護者とのコミュニケーションもとても貴重な時間でした。
山王こどもセンターで働きながら、すぐ近所にある山王こどもセンターのOGが経営している高齢者デイサービスでもアルバイトで働いていました。

そして、2019年に現在の職場でもあるNPO法人釜ヶ崎支援機構で新規事業が始まるからここで働かないかとお誘いをいただき、現在に至ります。

新しい繋がりを作りながら、今までの繋がりも維持している間に、この街に「知った顔」がたくさん増え、時の経過を重ねる中で大好きな人がどんどん増えてきました。

↓写真は学生時代に釜ヶ崎のこどもたちとキャンプに行った時!

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釜ヶ崎で稼ぎ、釜ヶ崎でほぼお金を使い切るライフスタイル。余ったお金は基本的に釜ヶ崎の支援団体に寄付してます。なので、応援していただくと、結果的に地域内の飲食店か支援団体にだいたい届くことになります( ^ω^ )