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竹書房が若手麻雀プロを売り出そうとしていた大会が昔にもありました

またまた(このnoteでは)お久しぶりです。

最近、近代麻雀noteに書いた黒木真生プロの記事が業界内で話題になっているようです。

まあ、最初の記事はいいとしても、2番目の記事はわざわざ書かなくてもいい単なる“挑発”であり、はっきり言って下品。自分的には「なんでこんなことをわざわざ書くのか、さっぱり意味が分からん」という感じ。

炎上期待? だからそれが下品ということに…まあ、それはおいといて(笑)。

ここでは麻雀プロの自己プロデュースの是非には触れず、「メディアが若手プロをどうやって売り出してきたか?」という話について、自分が経験してきた例をいくつか紹介してみようかなと思います。いろいろ記憶違いもあるかもしれませんが、その辺はいつもの通りご容赦のほどを。

「竹書房新人王戦」って大会があったのを知ってます?

麻雀最強戦が現在のような8名選抜によるトーナメント方式ではなく、オープン大会だった頃に、若手麻雀プロを売り出しを狙った「竹書房新人王戦」という大会予選があったことはご存じでしょうか?

最初に開催されたのは第5回最強戦の時になるので、1993年と約30年近く前のお話になりますね。きゃー、歳は取りたくねー。

優勝したのは、当時プロ連盟に所属していた滝石潤プロ。若手は若手だったのですが、実はプロ1年目の1990年に初段からいきなりぶっこ抜いて十段位を獲得した経歴を持つタイトルホルダーでした。

こんなスター候補生がまんまと(?)優勝したわけですから、大会直後には編集部もドーンと誌面で売り出しにかかります。『近代麻雀オリジナル』では、『MEN'S NON-NO』のファッションモデルかのような特写をカラーグラビアに掲載したこともありました(と言いつつ、自分が竹書房に入社したのは1994年2月なので、この辺の記憶はあやふや)。

しかし、その売り出しも結局は一過性なものであり、1996年に井出洋介プロが麻将連合-μ-を設立すると、滝石プロはプロ連盟を退会してその新団体へと合流。当時の麻将連合-μ-は滝石プロのようなメジャー選手が多く流れたことで他団体との折り合いも悪く、編集部も麻将連合-μ-に所属する選手とは一時的に疎遠にならざるを得ませんでした(とはいえ、まったく断絶したわけでもなく、『近代麻雀オリジナル』では原浩明プロ→小林剛プロと下段何切るの連載を連続でしてもらっていましたが)。それからしばらくして、滝石プロは家業の居酒屋さんを継ぐこととなり、麻雀界からは離れることになります。

鳳凰位を獲得したプロが「竹書房新人王戦」で準優勝していた?

次に「竹書房新人王戦」が開催されたのが翌年の第6回最強戦時。当時は大会方式が大きくリニューアルされ、著名人の参加する「各界雀豪選抜大会」ではドラマ「若者のすべて」で頭角を現していた萩原聖人さんが優勝を果たし、各スポーツ紙や週刊誌でも大きく取り上げられました。

そんな大会の際に新人王戦というタイトルを獲得し、本大会で活躍すれば麻雀界でも大きく話題になりそうなものですが…優勝したのはぶっちゃけ大きな取柄もなかった某若手選手。本大会でも特に目立った活躍はなく、気がつけば何年かの後、プロ連盟の名簿から名前が消えていました。

ところが、です。この新人王戦で準優勝した3年後、A1リーグまで一気に昇級を果たして、鳳凰位を獲得した選手がいました。

原田正史プロ…といえば、同世代の選手はよくご存じではないでしょうか。2007年の瀬戸熊直樹プロのブログにも、そのインパクトが語られています。

強き精神力は一流の技術をも凌駕する | 瀬戸熊直樹オフィシャルブログ Powered by Ameba (ameblo.jp)

では、そのタイミングで編集部は原田プロを売り出しにかかったかというと…いっさい何もしませんでした。それどころか、誌面では原田プロが鳳凰位になったことすらも満足に伝えていないでしょう。最強戦が対局記事のメインとなっている以上、プロ団体のタイトル動向について詳しく誌面を割くことなどなかったからです。そうこうしてるうちに、原田プロのお名前もいつの間にか聞かなくなってしまいました。

滝石プロ、原田プロに共通して言えるのは、「竹書房新人王戦」で活躍した前後でタイトル戦を優勝しており、編集部が売り出そうと思えば強調できるほどの実績が十分にあったことです。今なら最強戦の映像対局に無条件で声をかけられていたことでしょう。しかし結果として、たった2回で「竹書房新人王戦」は終了することになります。

「竹書房新人王戦」を開催しなくなったシビアな理由

なぜ彼らを編集部は誌面でプッシュしなかったか? これには様々な理由があります。第4回・第5回最強戦で雀鬼会の若手選手2名がそれぞれ優勝を果たしたことや、著名人の参加する企画が好評だったことも大きいでしょう。実力的にもネームバリュー的にも、若手麻雀プロを誌面で売り出す理由がなくなったのです。

さらに言えば、1990年代後半の「近代麻雀」三誌には、今でも名作として語り継がれる作品が多く連載されていました。「アカギ」「兎」「ショーイチ」「天」「根こそぎフランケン」「ノーマーク爆牌党」「まあじゃんほうろうき」――当時の麻雀ファンなら誰でも知っている傑作ばかり。「近代麻雀」三誌が純粋に“麻雀コミック誌”であろうとしていた時代でした。

当時の編集部の空気としては、「麻雀最強戦」に対してビジネス面での期待はまったくなく、“読者に還元するサービスイベント”という意味合いの方が濃かったと記憶しています。だからこそ編集部で戦力にならない自分が最強戦を担当していたという部分も…いや…なんでもありません…。

まあ要するに、当時の「近代麻雀」では、単純に商売として若手プロを売り出す必要はなかったということです。もちろんそのことに関して、編集部からプロ団体側に何か通告やアドバイスを行ったことは一切ありません。というか、若手プロが誌面に取り上げられないことについて、危機感を持った人間自体、プロ団体側にもほとんどいませんでした。

竹書房ではできなかった若手プロの売り出しに成功したメディア

…どうでしょう? 1990年代、麻雀プロ側にとっていかに厳しくて、現在がいかに恵まれているかがおわかりになりましたでしょうか。別に黒木プロのことをここにきてかばう気もありませんが、いろんな策を弄しながら大会を盛り上げようとする姿勢は理解できるのです。理解だけは(笑)。

さて、もうひとつ、1999年に若手プロの売り出しにかかり、こちらは竹書房と違って、麻雀界が発展する大きな要因を作ったメディアが登場します。黒木プロも絡んでるといえば、今の40代以上のファンならだいたい察してもらえると思いますが…そう、MONDO TV(当時は「MONDO21」)の麻雀番組です。

夜も深くなってきたので、続きはまた明日か明後日にも。バビィや黒木プロも最近になってその内幕を少し明かしていますが、自分も竹書房側の人間として「証言」したいと思います。そんな大それたことでもないけどね。ばいばいきーん。






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