「いい人」の定義

　人とぶつかったり、人に敵意を向けられるのを極度に恐れていて、とにかくそれを回避することにつとめて生きている気がする。
　人よりもだいぶ周りに気を遣っていると思うし、やさしく丁寧に人には接するし、多少の不満があってもそれを人にぶつけることはほとんどない。ましてや、自分から感情的になって人に敵対することは仕事でも遊びでも絶対にない。
　だから、周囲からは比較的いい人だと思われているだろうし、接しやすい人だと思われている方だと思う。

　でも、別に平和主義者だとか、根っから善人だからそうしているかというと、自分を振り返ってみてもそんなことはない。全然、いい人ではないと思う。
　自分が人との敵対を避けているのは、単純にその方が得をすることが多いからである。いい人だと思われていた方が自分に都合がいいから、そう思われるような振る舞いをするのだ。
　実際、仕事なんかでは、強権的に従わせる仕事のやり方が得意な人もいるだろうが、自分はあまり敵対に労力を注がないで、必要なストレッチの負荷を友好の思いやりに乗せた方が効率的だと思うからそうしているのだ。
　人のためのように見せて、完全に自分のためだけに人にやさしくしている。そう割り切って人と接している。

　それでも、それは当たり前のことだが、年に何回かは人にあからさまな敵意を向けられたり、辛い言葉を投げかけられたりすることもある。
　ひどく落ち込む。
　たぶん、これは自分が少し極端かもしれないが、誰かに明らかに敵対する態度を取られると、それだけでもう仕事もなにも手につかなくなってしまって、ずっとそのことばかり何日も考えてしまう。自分のことながら本当に参ってしまう。
　でも、気にしているのを表に出すのは気にさせてしまうから、人から見たら全く気になんかしていないように、ひたすら平静を装って、ただ自分の内側だけで静かに一人悩み続けている。

　こういう性格の人が思い悩んでいる時というのは、自分を責める方向に行く場合も多いと思う。なんで衝突を回避できるような行動を取れなかったのか、とか、もう少しうまく言い返せなかったのか、などである。「もっと自分がこうすべきなのでは」と考えて余計に不のスパイラルにはまってしまうのだ。
　あと、単純に、いい人すぎて、人を怒らせてしまったこと自体を悔いている場合もあるだろう。

　ただ、自分の場合はそこまで光属性ではなくて、もっとしょうもなく、ひたすらその敵対した人に、単純にずっとものすごい憎悪で腹を立て続けている。本当に、腹が立って腹が立って仕方ない。怒りながら考えている内容も、本当に卑小だ。
　　お前は、なんだ。
　　お前は、何の権利があって人に失礼な態度を取ることを許されているんだ。
　　こんなにも丁寧に接しているのに、どうしてそういう接し方をするんだ。
　　なぜそういう態度を取ると事態が進むと思うんだ。
　　そんな接し方をして何かが解決すると思うのか。
　　なんでそんなに自分の一時の感情でしか話せないんだ。
　　そんなに自分が正しいのか。
　　お前は、なんだ。

　たぶん、外から見た表情は変わっていないと思う。
　しかし身体の中では、ずっとずっとぐるぐるとこんな最低な感情を、誰にぶつけることもなく、自分の中のブラックホールに編み続けている。

　そもそもが、自分は、仕事などで、すぐに感情的になって人に言葉をぶつけたりするタイプの人のことが本当に信じられない。周囲の人に危機が迫っていて怒る、というならわかるが、どうでもいい議論でいちいち怒ってみせる人は、全員心底軽蔑している。
　単純にだけれど、人に対して失礼な態度を取るというのは、その人より自分が偉いと思っているんだろうと思ってしまう。偉いわけないだろう。人なんかそんな差ないんだから。そのマウントを表明することで一体何の得があるのか、全く意味がわからないし、理解し合えないと思ってしまう。

　と、これらの行動や思いが帰結して、人前に出てくる自分は、特に仕返しをしたり嫌な態度をし返すこともなく、表面上は立派なことを言うので、やっぱりいわゆる「いい人」に見えることが多いようだ。
　なに、いい人であるものか。こんな人に負の感情を持っている人間が「良い」はずがない。良いか悪いかで言ったら全然悪いし、それにしょうもない人間である。

　世の中には、人に何を言われてもあまり気にならないし、言われてもすぐ忘れてしまう、という人もいるようだ。
　憧れである。
　そんなふうに生きられたらどんなにいいだろうか。
　ぼくだって、本当はそんなふうにしたいのだ。というより、それに憧れすぎて、外目には自分もそういうふうな人だ、くらいに見せているのだ。
　でも、実際は自分にはそんな異能はなくて、ただただ確実に自分の体にダメージを蓄積していっている。特殊能力に憧れるただの子供なのだ。

　誰に何を言われても別に気にせず受け流し、自分が怒っても翌日には完全に怒ったことを忘れてしまう、そんな理想の人というのは割と身近にいて、それはうちの奥さんである。
　こういう人のことを本当にいい人って言うんだと思う。