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ジョニー・サンダースの夢

 観客の熱気と怒号。地下のライブハウス。
 弾け散る大音響の中、群衆の振りかかげる拳の先、ステージに自分は立っている。
 もう何曲演奏しただろうか。あまりの音量と熱気に、正直自分が何を吹いているのか全くわからない。何も聞こえない。
 そのうち、興奮した観客が次から次にステージに乱入し、我先にとマイクを奪って歌い始める。みんな手にビール瓶を握りしめ、前も後ろもわからないままお互い突き飛ばされて転がり、ミュージシャンに体当たりをしてくる。
 揺らぐ視界。人の熱と汗が酸素を奪う。そしてこの場にいる全員が感じている至上の世界。


 これは別に昨日見た夢の話などではなくて、ほんの昨日の夜のステージの話である。
ジョニー・サンダースのトリビュートイベントとして、バンドの一員としてステージに立ったが、いや久しぶりにどストレートなロックのあるべき姿を体験できた。楽しかった。。
 このイベントは、ファンの間では有名なイベントのようで、かなり地方からこのためだけに足を運んだ方もいらしたようである。
  特に今回は、ゆかりのあるミュージシャンであるドラマーのJoe Rizzoがニューヨークから来日して演奏するとのことで、それはもうファンからしたらこれほど興奮できるイベントはないだろう。

 自分はGolden Ratというバンドで出演した。このバンドは以前からメンバーになっていて何度もライブに出ているしレコーディングにも参加している。これまでもこのイベントに何度も出演して、ジョニーサンダースの曲を演奏してきた。
 そのGolden Ratに今回はそのJoeが加わっている。これは楽しみである。

 ただ問題があって、曲数が15曲くらいある上にリハは1回しかなく、自分は言うほどジョニーサンダースに詳しくもないので、けっこう短期間で覚えないといけないことが多いと言うことだ。

 そしてそのリハは実は本番の前日の金曜の深夜である。新宿のスタジオに集合したメンバーはいつものRatboy(g,vo)、Hiroshi(g)さん、Ben(b)。そしてdrumsのJoeとはここで初対面。とても馴染みやすい方で、すぐに仲良くなる。
 ちなみに、RatboyとBenはスイス人で、正直普段はめちゃくちゃちゃんとした仕事をしている。Hiroshiさんは、日本のジョニー・サンダース研究の第一人者で、「ジョニー・サンダース コンプリート・ワークス」という書籍も出版している。

 という国籍事情も相まって、このバンドでは日本語が話されることはほとんどない。だいたいは英語である。Hiroshiさんは英語が堪能なのでいいのだが、ぼくは正直あんまり得意ではなく、どうしているかというと、Ratboyとはフランス語で会話していて、Hiroshiさんとは日本語、Benは日本語かフランス語で意思を伝えている。JoeはもちろんNYの人なので英語しか話せない。
 前もどこかで書いたが、自分にとって「外国語=フランス語」に変換されてしまうので、咄嗟に出てくる外国語が英語なのかフランス語なのか瞬時によくわからなくなってしまう。というか、8割フランス語である。フランス語と英語がめちゃくちゃにミックスになってしまうこともある。
 ただ、今までこのバンドで何度もステージをやってきたが、正直あんまりコミュニケーションに困ったことはないので、単純に音楽を一緒にやるだけならそこまで精度の高い語学力っていらないのかもしれない。

 さて、Joeのドラムはやはりパワフルで歌心とスピード感に溢れ、これがこれまでと同じバンドなのかと思うくらい素晴らしかった(このバンドなかなか人が集まらなくてドラムレスだったりしてたので)。2回ほど曲順で通し、自分はソロやリフなど吹く場所をなんとなく確認する。なんとかなりそうである。
 ところで、さっき言ったように、基本的な意思伝達力に乏しいので、実はこの時点ではぼくはJoeが誰であるのか、どう言ういきさつで一緒に演奏することになったのかを全く知らないでリハをしている。Ratboyからは、今度はNYからドラマーと一緒に演奏するんだ、としか聞かされていず、どちらかというとちゃんとした仕事をしているNY方面の同僚の人なのだと思い込んでいた。堅気なのにめちゃくちゃすごいドラマーだなぁと思いながら、「すごいいいサウンドのドラムだね!」「君のサックスもいいよ!」と無邪気に感想を述べ合ったりしていた。

 そして明日は本番なのだが、明日は明日で朝から大学の後輩たちに楽器を教えるイベント会みたいなものがあって、ほんの10時間後くらいにはまたこの新宿に戻ってこなくてはいけない。バリトンサックスはとにかくでかいので、持って帰るのが面倒になり、最近頻繁に利用しているバスタ新宿の荷物預かりサービスに預ける。便利である。ちなみに、今日最も訳すのが難しかった言葉が「荷物預けサービス」だった。ほぼ終電で帰る。

 翌日は早朝から始動し、再び横浜から新宿へ向かう。楽器を無事受け取り、新宿のスタジオで息子ほどの年齢の子たちと練習。午前中からお昼を挟んで4時ごろまで。これも楽しかった。

 そして夜のライブハウスがある武蔵境に移動。しかし、この練習会の時間が押してしまったこともあり、4時からの現地リハーサルには参加できなかった。リハに行けないとなると本番は9時ごろなので、さすがに今行っても手持ち無沙汰である。しかも今日は猛暑日で異常に暑い。移動だけでも体力が容赦なく削られていく。
 さらに中央線に乗っているとものすごいゲリラ豪雨が襲ってきた。これではますますもってどこかで時間を潰すにも難儀だ。しかも武蔵境まで行ってしまってもなんにもないし、荷物もあるから吉祥寺も人が多すぎる。
 ということで一回あてもなく間をとって三鷹で降りる。折よく雨も止んできた。駅前の星野珈琲にはいり、ふかふかのソファで早めのごはんを食べつつなんとなく曲の確認などをする。
 それでもまだ5時半くらい、だいぶ時間がある。と、近くに整体屋さんを発見。はっきり言ってここまでの行程でだいぶ消耗していたので、これは一気に魅力的である。整体に行って60分。生き返る。
 武蔵境に移動し、カラオケボックスに移動して音出し兼着替えと準備をする。
 昨日の夜、「明日は着物で来ないのか?」と言われていたのだが(このバンドではいつも着物でステージに出ていた)、何しろ猛暑だし、昼間は別の用事があったので、着物と袴は荷物で持ってきていたのだ。今日のライブハウスは楽屋もろくにないようなところだし暑いに決まっているので、ここでドリンク飲みながらゆっくり準備する(ちなみにカラオケは使わない)。
 そこから移動して8時過ぎ、非常にベストなタイミングでライブハウス入り。前のバンドの演奏を待ってステージへ。

 小さなライブハウスは既に満員で、人と熱気と二酸化炭素でひしめき合っている。その中を縫っていき、ステージへ上がる。
 高まる会場中の期待。一瞬息を呑み、「!」のタイミングで演奏がスタートする。イントロから大歓声。もちろんみんなどの曲も骨まで知っている。拳を振り上げ大合唱。熱狂。

 ところが、演奏を始めてみると、あまりにもバンドの音量と歓声がでかすぎて、自分の音が全然聞こえない。自分のソロのところですら、自分にはほとんど音が聞こえず、会場にも聞こえてるんだかなんだかさっぱりわからない。なんどかPA席方面にサインを送ったが、この熱風の中では全く気づかれない。とりあえずマイクをベルに突っ込みまくって、リードがフラッター気味になるくらいのオーバーブロウで吹きまくる(それで音が大きくなるわけではないのだが、もはや気持ちである)。

 そしてそのうち会場のボルテージはマックスに達し、ついに狂乱の観客たちがステージに乱入してきた。これが冒頭のシーンである。次々とマイクを奪い、大好きな曲をかわるがわる熱唱する。
 それはいいのだが、みんなビール瓶を握りしめそこらじゅうにビールをぶちまげながら、めいめい突き飛ばされて転倒さながらに乱入してくるのでカオスどころの騒ぎではなくなってきた。しかもみなトランス状態で泥酔しているおり、全く周りなど見ずに突進してくるので、演奏しているミュージシャンにも全力で体当たりしてくる。
 もちろん自分にもガシガシと人がぶつかってくる。ご存知の通り管楽器はそこそこ繊細なので、こちらも全力で演奏しているていは保ちつつも体で巧みに楽器をガードしながら華麗に立ち回る。
 マイクスタンドも容赦なくひっくり返されるので、何度も立て直す。そのうちマイクが外れてサックスのベルの中に落下してしまう。
 もはやこうなってくるとマイクの音がどうのなどもうどうでもよくなってくる。マイクがあるんだかないんだか、とにかく吹き続ける。もはやリハでやったことやきめごとなど全く関係ない。ただなんだかわからないが吹いていた。うしろでは乱戦の末ギターアンプがハウリングを起こしてピーーーーと異常音を鳴り響かせている。混沌と歓喜である。

 熱狂の中、ダブルアンコールをもってステージは終了した。結局17曲くらい演奏した。最後まで自分の音が聞こえてたんだかなんだかさっぱりわからなかったが、終わったあと何人もの人からサックスよかったです!と言われたので、少しは聞こえていたのかもしれない。
 でも、正直言うと、サックスが聞こえてるかどうかなんて、この場では些細なことというか、どうでもいいことなのだ。
 大好きなジョニーサンダースの曲を全力で聴いて、一緒にステージに上がり、仲間たちと一緒に過ごすこの特別な空間。まさにA Love Supreme、至上の愛である。それを担うメンバーの一人であれたことがただ光栄だとしかいいようがない。

 メンバーのHiroshiさんはこの日本ジョニーサンダース界の中では重鎮であり、今回のイベントの中心実行者的な位置付けである。そんなビッグネームのHiroshiさんなのに、こんなジョニーサンダースのことをそんなに知らない自分のサックスを気に入ってくれて、いつもライブに呼んでくれる。
 Ratboyもとても自分のサックスを気に入ってくれていて、このユニット以外にも何度もレコーディングを一緒にしている。フランス語で話せるということも大きくて、家にも遊びに行ったし、友人のように仲良くしてもらっている。これからもいろいろと一緒にやることが多いと思う。
 bassのBenは僕らより年は若く、日本語も上手だ。とても優しくて、いつも話しかけてくれる。Benも自分のサックスを喜んでくれる。重量感のあるいいベースを弾く。演奏中、目が合うと必ず微笑んでくれる。

 このバンドはみんな自分のサックスを好きでいてくれて、いつもすごく褒めてくれるから、大好きである。

 演奏終わりにJoeと話す。固く握手し、ハグしながら
「お前のサックスめちゃくちゃいいな!NYに早く来いよ!」
 みたいなことを言ってくれている。
 ただ、会場のDJが大音量すぎるのと、何しろ英語なので何を喋っているのか細かくは全然わからない。けっこう長尺で話してくれたのだが、あまり意味はわからないまま「Yes! Of Course!」と笑顔で答える。
 なんだか、ほんの24時間くらい前に初めて会ったとは思えない。たいして話してはいないのに、すごく話し合って分かったような気もする。音楽の不思議なところである。しかしこんな機会で、これほどのレジェンドと共演できたことはこれも光栄でしかない。ありがたいことである。

 武蔵境から横浜は遠い。
 一瞬で終電がなくなってしまうので、早めにライブハウスを後にする。
 電車に乗る。
 まるでディズニーランドの帰りのように、現実に引き戻される。
 量の足に鉛が注ぎ込まれるがごとく、重く疲労の血が巡ってくる。
 ほんとに、夢見ていたみたいだ。

 


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