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11月30日は「人生会議」の日でした。
これは、一人ひとりが人生の終末期において大切にしたいと思うことについて、身近な人たちと話し合っておこうということの普及・啓発のために厚生労働省が決めた名称です。もとはアドバンス・ケア・プランニング(ACP)といいます。
最期をどう迎えたいか」という問いは、いま超急性期、集中治療といった分野で注目を集めているといいます。なぜなら、そのときには考える時間がないから。そのような観点から「人生会議」の啓発に取り組むのは、集中ケア認定看護師として大同病院のICUで集中治療に携わる糟谷豪哲さんです。(2023年11月29日配信)

「死」をイメージできますか?

イズミン まず「人生会議」、アドバンス・ケア・プランニングとはなんですか?

カスヤ 日本医師会のホームページから引用しますと、「将来の変化に備え、将来の医療およびケアについて、本人を主体に、そのご家族や近しい人、医療ケアチームが繰り返し話し合いを行い、本人による意思決定を支援する取り組み」のことです。
 皆さんご自分が死ぬときのことをイメージできるでしょうか。いつ、どこで、どんな姿で死を迎えるのか、考えたことはありますか?

イズミン 愛する家族に囲まれていたいなとか、病院でたくさんの管に繋がれてはちょっと嫌だなとか、孤独死の可能性もかなりあるなとか、思ったりします。

カスヤ そうですね。また、イメージができたとしても、突然事故に巻き込まれるかもしれませんし、なかなか自分の思い描く死を迎えられない可能性もあります。それでも、できるだけ悔いを残さないように常日頃から考えておくことが大事になります。

シノハラ 突然、心筋こうそくとかくも膜下出血のような重篤な病気になって、意識不明で病院に運び込まれたとしたら、どこまで延命処置を受けたいのかとか、最低限苦しくないようにケアしてもらえればいいのかとか、いろいろ自分が思っていることを医療現場に伝わらないと困りますよね。

イズミン あと、認知症などで、ご自分のことをうまく伝えられなくなることもあります。

カスヤ 終末期においては、約70%の患者さんが、ご自身で意思決定をすることができない、思っていることを伝えられないといわれます。自分が望む最期をどう伝えたらいいか考えておくことも大事になってきますね。

シノハラ そうですね。例えば心停止したときに心臓マッサージのような心肺蘇生術をどこまで求めるかという本人からの意思表示があったかどうかが、医療現場で問題になることがあります。

カスヤ 医療者は、患者さんの救命の可能性が高い場合に限って心肺蘇生をするとか、救命できる可能性があっても、例えば意識が戻らないとか、その後に寝たきりになってしまうと予測されるなら静かな看取りを希望されるのか、といったことを確認しておく必要があります。

シノハラ 当院では65歳以上の方が入院されるときには、どういった希望があるのか確認するようになっていますね。

終末期に到るパターン

カスヤ 終末期に至る過程には4つのパターンがあるといわれています。

カスヤ 1つ目は、事故や、心筋こうそく大動脈解離くも膜下出血といった重篤な病気に突然襲われて、そのまま亡くなってしまうような場合です。そのような場合では、どんな最期を望むか、どういった治療を受けたいかなどを話す機会はほぼないまま亡くなることが多いです。
 2つ目は心不全慢性閉塞性肺疾患(COPD)といった病気で、増悪したり、治療によって軽快したりを繰り返しながら徐々に悪くなっていって、最終的にどこかで回復できなくなって亡くなるパターンです。
 3つ目はがんのように、ある時期までは比較的お元気に日常を過ごせるのですが、悪くなり始めると、だいたい1~2カ月で急激に弱くなり亡くなるような形です。
 4つ目は、老衰に代表されるように、慢性の病気を抱えながら少しずつ衰弱して、ゆっくりと終末期に向かっていくようなパターンです。

イズミン 1つ目以外はある程度の予測がつきそうですね。

カスヤ そうですね。例えば心不全ですと、一度発作が起きて、治療を受けて良くなったとしても、その発症から5年間生存できる人の割合っていうのは約50%といわれています。なので心不全を一度でも起こしたら、ぜひその瞬間からACP(人生会議)を考えていただきたいと思います。大切なことは、こうした終末期に至るまでの時間は、誰もに平等には残されてないということです。

イズミン いつ何があっても、できるだけ自分の望むことを大事にするために、日ごろから近しい方々と話をしておくことが大切なんですね。

シノハラ 「死」というと、なんとなく「縁起でもない」と避ける傾向が日本にはありますが、死について考えることは「どう生きたいか」に直結しますものね。

イズミン 古いラテン語の言葉には「メメントモリ」(死を想え)というものがありますが、これは、死を想うことによって、今を生きることを考えるということですよね。

シノハラ 若いうちは「死を想う」というのはなかなか難しいですけど、やっぱり家族ができて子どもができたりすると、自分が死んだら家族はどうなるんだろう、とか、少しずつ考え始めると思うのですが、「死を想う」ことで、死ぬまでどうしたいのか、今をどう生きていくのかを考えていくことも大事ですね。

集中治療と人生会議の関係

イズミン 私はこれまでACP(人生会議)については、例えば在宅医療などに関わっている方とお話することが多かったので、集中治療(ICU)の看護師さんが、積極的に取り組んでるとお聞きしたときには少し意外でした。

カスヤ 一般にイメージされるACPは、長い時間をかけてというものだと思いますが、集中治療の現場では、数日とか、早ければ数時間という短い時間軸で、いろいろなことが起こって、ご家族などが選択を迫られていくことが多いんですね。動揺されることも多い。ACPの長い過程がギュッと凝縮されています。
 突然交通事故に遭って、ひどい外傷で命が危ないとか、くも膜下出血でもう意識が戻らないかもしれない、といった状態では、今まで考えたこともなかったことが突然起こり、死というものに向かって、すごい速さで進んでいったりします。だから最近は救急とか集中治療の領域でもACPについて、しっかり考えていかないといけない問題なんだと認識されるようになりました。

人生会議の進め方

イズミン この人生会議はどうやってやればよいですか?

カスヤ 先ほどもあったように、「死」について話すことはなかなか難しい。「会議をしてください」といっても、その方法がわかりにくいことも、なかなかACPが普及しない一つの大きな理由とされています。
 ACPと似たような概念に「終活」とか、「リビングウィル」とか、「エンディングノート」といったものがあると思います。「終活」は人生の終わりについていろいろと考える活動の全体的なことを指し、エンディングノートはご家族などに向けて、葬儀とか財産について必要なことを書き残していくものとして活用されます。「リビングウィル」というのは、主に人生の最終段階で受ける医療について、希望とか意思を医療者に伝えておく事前指示とされています。
 そうしたなかで、ACP「人生会議」は、医療やケアに関する事前の意思や思い、どうしてそういう選択をするのかをご家族や親しい方、さらに医療者を含めて繰り返し話し合って共有していくプロセスになります。

シノハラ なるほど、「共有」とか「繰り返し」っていうのが大事ということですね。

カスヤ その通りです。まず患者さんの病状や進行具合、想定し得る医療情報がしっかりと医療者側から提供されることが大切です。治療やケアの選択肢は、医療がどんどん進歩してきていることによって、とても複雑になっていますし、選択肢も多くなっています。患者さん自身にとってどんな選択肢があるのかを理解していただいて、ご自身の価値観に沿って、どのような最期を迎えたいかを含めて、話し合っていくことが大切になります。
一昔前は、医師が「こういうふうに治療しますよ」といい、「先生にお任せします」というのが主流でしたが、いまは、自分で自分の人生を考えて決めていくことが促されています。

シノハラ やはり普段から自分にとって何が大事で、どう生きたいかっていうのを考えておかなければならないし、自分が思ってるだけではなくて、家族とか周りの人と話して共有しておくことが大事ですね。

イズミン でも、こういうことって案外難しいので、大同病院では地域の方向けの健康講座などでは、よくゲームを使って「人生会議」を体験していただくワークショップをやっております。「もしばなゲーム」というのですが、「もしあなたがあと半年の命だとしたら大切にしたいことは?」と問うていきます。トランプみたいなカードの1枚1枚に、例えば「信頼できる主治医がいる」とか、「呼吸が苦しくない」とか、「誰かの役に立つ」とか、「家族と一緒に過ごす」とか、そういったことが書かれていて、より大事だなと思うものと、他に比べたら大事ではないというカードを交換していって、最後に手元に残ったものが自分にとって大切なんだなということが認識できるようになっています。

カスヤ 楽しみながら「人生会議」を疑似体験できるゲームですね。

大同病院では市民公開講座で「もしばなゲーム」を使ったワークショップを行っています。近隣コミュニティへの出張講座も対応します。

イズミン 大事なのは、このゲームの結果が変わっていくということです。もちろん、そのときどんなカードが回ってくるかっていう部分もありますが、例えばご自身が病気をしたり、親しい方が亡くなったりすると、大切に思うことが変わることがあります。なので、折々にご家族とか近所さんとかで集まって、こういうゲームをしながら話し合う機会があるといいのかなと思います。

シノハラ 人間の気持ちって、例えば読書とか、尊敬する方の話を聞くとか、周りで何か事件が起こって心が動くとか、常に一定じゃないし、一つのきっかけで価値観や考え方が変わることもありますので、繰り返し考えて、その都度、自分がベストだと思う生き方をアップデートすることも大事かもしれないですね。

イズミン 療養するなかでも、最初は「絶対に何もしないでくれ」とおっしゃる方が、やはり苦しくなってきたら、もうちょっと処置をしてほしいということもありますよね。

カスヤ 集中治療の領域だと、最初は心臓が止まっても心肺蘇生を「やらなくていい」、もしくは「やってほしい」という選択があったとしても、その重篤な状態が続いていったら、患者さんも家族も、心境が変化することが結構あって、数日の間に心肺蘇生に関する選択が何度も変わることって結構あるんです。
 一度決めたら変えられないということはありません自分の価値観の変化で選択が変わることは、それはそれでいいことなので、気持ちの変化を許容しながら、人生について考えていくことが大事なんだと、日ごろから思っています。

イズミン 先ほど「心不全になったらすぐ人生会議を始めましょう」という話がありましたが、本当にいつ何が起こるかわかりませんので、今日からでも明日からでも、例えば、年末・お正月にご家族が集まったときでもいいので、話をしていただけるといいのかなと思います。
 糟谷さん、今日はありがとうございました。


ゲスト紹介

糟谷 豪哲(かすや・ひでのり)
大同病院 ICU主任。集中ケア認定看護師。
元気に生きてきた人たちが、突然「生か死か」という重篤な状態で人生の選択に動揺する姿を目の当たりにし、力になりたいとこの分野のスペシャルティをめざした。ICUを中心とした看護の質向上に日々取り組む。趣味は野球やゴルフ、ボルダリング、そして弟が焙煎した世界の美味しいコーヒーをハンドドリップで淹れて楽しむこと。


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