デール・マハリッジの『繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ』を再読しながら考えたこと―読書月記21
映画『ノマドランド』は、今年のアカデミー賞作品賞・監督賞・主演女優賞・脚色賞など6部門を受賞しただけではなく、様々な映画賞を受賞している。この作品自体は未見だが、原作となったノンフィクション『ノマド 漂流する高齢労働者たち』は読んでいる。日本での刊行は3年前の2018年だが、近所の図書館にあったのでその年の暮れに読んでいる。“放浪”や“漂泊”ということに興味があったからだが、中身は、自発的な“旅”ではなく、貧困に追い込まれての“旅”だった。そして、同書が捧げられているのがデール・マハリッジの『繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ』だ。こちらは原著の刊行が2011年で、2013年の9月末に日本で刊行されている。私が読んだのはその年の年末から翌年にかけて。アメリカのワーキング・クラスの没落を30年間追い続けたノンフィクションだ。その『繁栄から~』を9月に再読した。
テレビなどで知るアメリカ経済に関するニュースは株価のものが多い。最高値を記録し、景気がいかにもいいような感じである。しかし、実態はどうなのだろうか。上の2冊だけではなく、『アメリカを動かす「ホワイト・ワーキング・クラス」という人々』『絶望死のアメリカ』『絶望死』『ヒルビリー・エレジー』『われらの子ども』などを読むと、失業者が増加し、絶望するしかない状況に追い込まれた人々が少なくないことが浮かび上がってくる。よく言われることだが「中間層」「中流」の没落が激しい。あくまで印象だが、かつては社会全体の利益が10なら、ピラミッドの上の方の人々が5、中間の人が4、下の人が1ぐらいで分配されていたものが、今では、上の方の人が9、中間の人が1、下の人が0という感じである。下の人が苦しいけど、落ち込みだけで見ると、中間の人の方が落ち込みの幅は大きい。それまでの生活レベルを切り下げるしかなく、収入にも仕事内容にも誇りを持てなくなっている。それが社会に疲弊感、絶望感が蔓延る際たる理由ではないだろうか。
読み直してみると『繫栄から~』に共感する部分は本当に多かった。まず、現在のアメリカ社会の在り様のルーツを1980年代、レーガンの時代とする点。戦後社会について考えてみれば、1980年ぐらいまでは今の新自由主義のような風潮はなく、先進国では「中間層」「中流」が増え、大学進学率も高まり、活気に満ちていた。しかし、レーガン、サッチャーに代表される新自由主義路線に移行するに従い、格差は広がっていった。アメリカの民主党から大統領が選出されたクリントン時代、オバマ時代もこの格差拡大は減じていない。ごく一部の例外を除き金融業に甘かった。これはイギリスでも同じで、労働党のブレアが首相だったイギリスも次々に社会保障政策を後退させ、金融業に甘くなっている。労働者の味方であったアメリカの民主党、イギリスの労働党は、みずからの支持基盤を裏切ったのだ。その結果が顕著に示されたのが、2016年のアメリカ大統領選挙だろう。327ページに「二〇一二年や二〇一六年には、おどろおどろしいポピュリズムが台頭するかもしれないからだ」と書かれているが、まさしくその通りになってしまった。2020年の大統領選挙でバイデンが勝ったものの、アメリカでは「おどろおどろしいポピュリズム」の影響がいまだに大きいのは明らかだろう。
私自身、物心がついたのは1970年代前半だが、それから現在までを考えると、1980年前後で明らかにいろいろなものが変わった。日本に限らず、1980年代に入ると、いわゆる「硬派」の本の売れ行きが落ちたこと(書籍そのものは1996年まで売り上げを伸ばし続けている)、マジメな人間を「ネクラ」と揶揄し、テレビがひたすらに面白さを追求したこと。ベルリンの壁の崩壊もその一つだろう。誰かがシナリオを書いていたとは思わないが、戦後の資本主義の先進国で共有されていた“価値観”が否定されていった。できるだけ多くの人が、それなりに幸せになれる社会を作ろうという価値観だ。それが否定されるような風潮の結果として訪れたのが、「中間層」「中流」の没落と、「自己責任論」の横行ではないだろうか。