ナチスだけを断罪して、それで終わりにしてはならない―『その日の予定 事実にもとづく物語』(エリック・ヴュイヤール/岩波書店)

本作は2017年のゴンクール賞受賞作品。同賞の受賞作品すべてが翻訳されているわけではないが、受賞作品のなかでは本作は短い方ではないだろうか。作品そのものは約130ページ。三島憲一氏の12ページにわたる丁寧な「解説」と訳者である塚原史氏の「あとがき」、主要人物の一覧表、巻末に関連写真が付されている。
「解説」と「あとがき」を読んで疑問が一つ。三島氏と塚原氏は、本作をレシとしており、レシとは「事実小説」(三島)「事実にもとづく物語」(塚原)としているが、ジイドが自身の小説の多くをレシと分類しているが、この定義に当てはまるのだろうか。

ナチス・ドイツによるオーストラリア併合の顛末が様々な事実を繋ぎ合わせて構成されている。
冒頭は、ヒトラーやゲーリングらナチス幹部とオペル、クルップらドイツの主だった企業の経営者の秘密会合。さらに、オーストリアのインクヴァルト、シュシュニク、イギリスのチェンバレン、フランスのダラディエといった政治家、さらに画家のルイ・ステール、ハリウッドの貸衣装店で働くギュンター・シュテルン(アンダース)、アルマ・ビロら併合当日にオーストリアで自殺した人々に触れることで、当時の世界を覆っていたナチスの“影”とその重い雰囲気をとらえている。
戦後に触れた部分で、ナチスの幹部の多くが処刑されているものの、様々な形で利益を得た人びとや企業の多くが厳しく断罪されることがなく生き延びたことが描かれる。解説にもあるが、第2章「仮面」でナチスに投じられたお金と最終章「あの人たちはいったい何者なんだ?」での「徴用工」に対する戦後補償の対比には愕然とする。短い物語ながら、“資本主義”が持つ極めて残忍で自分勝手な部分を見事に浮き彫りにしている。そして、この“自分勝手”さは今も失われていない。


「いちばん大きなカタストロフは、しばしば小さな足音で近づいてくる」や「現実とは前に見たあの悪夢にすぎないのだ」といった文章が単に過去の事実に関するものでないことを願うばかりである。

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